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<本文から> 武蔵は幼ない頃、武仁に十手剣術を教えられた。道場の道具棚には、四、五本の乳切木と長棒が置かれていた。乳切木とは大人の乳の高さに切られた棒の意で、四尺二、三寸の樫の丸棒である。
先端には二、三十匁の切子玉分銅をつけた、三尺ほどの鎖がとりつけられている。
長棒は七尺の頑丈な丸棒で、先端に鉛が仕込まれていて、赤銅の帯で巻き締めてあった。いずれも十手術の稽古に遣うものであるが、十二、三歳でなみの大人のような体格に成長した武蔵は、遣いかたのむずかしい乳切木よりも、長棒を遣うのを好んだ。
その腕力は抜群で、弟子たちの不在のとき、当時弁之助と称していた武蔵が、兜割り十手を持って相手に立った父の武仁を、道場の隅へ追いつめたことがあった。
彼がいまも木刀をとって真剣をふるう相手に立ちむかうのは、その記憶によるものであった。 |
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