津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          富士の月魄

■函館戦争に敗れる

<本文から>
 大岡の声が耳もとで聞こえ、自利し子の稽古着に竹胴をつけた彼が、敵のただなかへ斬りこんでゆく。
 つづいて島村が乱髪をなびかせ駆けつけてきた。官軍の兵士たちは二人に斬りたてられ、たちまち後退した。
 「いまだ、山へ逃げろ」
 周三はさわ子に脇を支えられ、湿った坂道を走った。
 流弾が耳もとで喰り、敵があとを追ってきたが、病院に箱館勢が詰めかけてきて、裏庭ではげしく自刃を打ちあう音がおこると、戻っていった。
「誰もこなくなったぞ。俺たちは助かるかもしれない」
 大岡が走りながら、周三をふりかえる。
 山道には足跡が乱れていて、周三たちよりさきに逃げた者が、大勢いる様子を示していた。
 港口には甲鉄、春日、陽春が艦首をならべ、弁天台場への砲撃をつづけている。浮き砲台となった回天と、単独で弾雨のなかを応戦する蜂竜の砲撃は、まだやんではいなかったが、七重浜はすでに官軍の手に制圧されていた。
「夜になれば、上磯のほうへ出て舟を拾い、沖へ出よう。俺たちが乗る船は、あそこに見える三本煙突の、白塗りの蒸汽船だ。あの船には、フランス砲兵のブリユーネや、カズヌーブも乗るはずだ」
 大岡が、雑木のかげから海上を指さしていった。
 周三は箱館市街の火の手がさらにいきおいを増し、黒煙が天を覆うさまを眺めた。戦場は東へ移動し、五稜郭が官軍の攻撃をうけるのは、間もないことであると思われた。
 島村が返り血に汚れた顔を手拭いでこすりつつ、嘆息した。
「蝦夷島に新政体をうちたてる夢は、消えたか。もはや徳川の天下は望めなくなったな。白根、俺はどこでもいい、異国へ渡って暮らしたいよ。ここを落ちのび、生きながらえたとしても、薩長の奴らに虫けらのように扱われるのは、いやだからな」
 周三がうなずく。
「お主の気持ちはわかるさ。それなら、フランス船に乗ったついでに、異国へ送りとどけてもらえばいい。どこで死ぬのもおなじことだ」
「白根、大岡、いっしょにいこう。上海でも、西貢でも、いっそフランスヘいってもよいではないか」
 周三はかぶりをふった。
「俺はだめだ。まだしなければならぬ仕事があるからな。俺はひとりになっても、薩長政府に刃向かってやる」
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■全国諸藩に不穏の情勢をつくろうとした

<本文から>
 大岡は、左膝を畳につくなり、見事な横一文字のスッパ抜きをみせた。冴えた音がして酒瓶の首がとび、瓶は倒れないままであったが右手に位置が動いた。
 「お主もそうとうなものだな」
 田中が壁際に転がった瓶の首をひろってきて、行灯にかぎして切りくちをあらためる。
 周三のまっすぐな断面にくらべると、大岡のものは波うち、一部分が鋸の歯のようにこまかい凹凸をきざんでいた。
 大岡は刀身を眺め、舌うちをする。物うちのあたりに、ごくちいさいが刃こぼれがひとつできていた。
 据え物斬りは、彼の得意とするところであった。徳利を睨んでいた彼は、右足をゆっくりと踏みだす。
 夜が更けてのち、浄元寺にもどった周三たちは気がたかぶり、寝つけなかった。
「酒があるぞ。明日の仕事は庭の草むしりぐらいだから、いっそ朝まで起きているか」
 大岡がいいだし、一升徳利を提げてきた。
「なくなれば、辻の酒屋をおこして買ってくればよい。このままでは眠れぬからな」
 彼は湯呑みに酒を注ぐ。
 三人は徳利をかこみ、酒をあおった。彼らの前途には、希望のきざしはなく、危険が待っているのみであった。新政府転覆の大望は、いつなしとげられるとも分からない。
 全国の同志がいっせいに蜂起すれば、基盤のかたまらない新政府は、思いのほかにたやすく崩壊するかもしれないが、反対に不平家たちが根絶やしにされることもありうる。
「万一事が露顕して、密偵にかぎつけられたときは断罪を覚悟しておかねばなるまいが。そうなれば、おもしろくもない世を旅立てるのだから、悲しむことはない」
 周三がいうと、大岡が気負いたって答える。
「俺たちは蝦夷で死ぬ命をながらえているんだ。いまさら便々と薩長の奴らの足下にふみにじられて、生をまっとうしたくはない。のるかそるかの勝負をやってみることだけが、俺の生きがいだよ」
 周三たちの内心には、重い疲労がわだかまっていた。
 急転する時勢にしたがい、わがゆく道筋をきりひらいてゆく気は、三人にはない。奸謀によって幕府を倒した政府の大官を討つことに、命を投げだして悔いはなかった。
「このまま、生きていてもしようがない。俺には妹を探してやりたい望みがあるが、はたしてめぐりあえるものかどうかは、見当のつけようもない。死ねばすべては終わるんだ。俺はこののち新政府の大官の命のやりとりをすることだけに、たのしみを味わえそうだよ」
 周三は激しい口調であった。
 彼は駿府に帰ってみて、時勢が旧幕臣たちを没落の一途へ追いやっている実情を知った。駿府藩はまもなく静岡藩となり、藩主家連は知事となる。
 徳川家を盛りたて、旧態にもどす夢は、もはや消え去っていた。このうえは全国諸藩に不穏の情勢をつくりだす、実力にうったえての行動に出るほかはなかった。
「俺たちのスッパ抜きが、また役にたつときがきたわけだな」
 島村が腕を叩いた。
 彼は鍛えぬいた据え物斬りの技を、周三と同様に、歯こぼれひとつなく素焼きの酒瓶を切る、あざやかな手並みにあらわした。
「遺恨かさなる薩長の首魁の首を、こんどこそはねてやるぞ」
 彼は坤くようにいった。
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■周三の妹・光子は犯され身売りさせられた

<本文から>
「そうどんな、おかげさまで花乃は繁昌しとります。いまは角福楼での稼ぎ頭どっせ。西陣の織屋の旦那が身受けしたいというとりまっけど、もったいのうてまだ出す気いにはならしまへん」
「今夜、おるか」
 吉兵衛は聞かれて、淫らな眼つきになる。
「へえ、花乃はいそがしい妓で、めったに体が空かしまへん。いまもちょうど客がついとりましてな」
「では床をつけているのだな」
「そうどすねや。けど、あと半刻(一時間)もしたら、客は去によりますわ」
 渡辺は眉根に敏をよせていう。
「よし、今夜は俺の伽をさせるからな。あとは客をとらせるな」
「へえ、よろしゅうおす。渡辺はんのおっしゃることなら、聞かんわけにはいかしまへんさかいな」
 渡辺は鼻さきで笑った。
「お前が今日、角福楼の主として賛沢三昧できるのは、俺のおかげだということを忘れるなよ」
 吉兵衛は坐りなおし、神妙にいう。
「重々承知しとります」
 吉兵衛は女街、高利貸など、阿漕な金儲けに手をそめてきた。
 法網をくぐるのもいつものことで、京都府断獄方の探索をうけるような危ない橋を渡っていたが、その都度渡辺が後ろ盾となって捕縛を免れていた。
 花乃は二十歳である。角福楼への奉公は、まえの年の夏からで、渡辺が養父となって苦界に身を沈めさせたのあった。
 花乃の本名は白根光子、旧幕府直参の娘である。彼女は慶応四年五月十五日、上野の戦があった日の夕刻、下谷の屋敷にいて豪雨のなかを乱入してきた薩軍の兵士らに屯所へ連れ去られた。
 屯所では、大勢の兵士たちが彼女をなぶりものにした。
「こやつは、直参の娘じゃ。兄貴が上野にたてこもっておっ。いわば傲の片われじゃ。父親、母親は渡辺どんの指図で斬い殺したが、こやつは今夜味をみたうえで女郎にでも叩き売ってやっがよかと、連れてき申した」
 光子をひきたてた薩兵が、留守居の士官に報告した。
 光子は屯所のひと部屋で、餓狼のような男たちに翌朝までさいなまれる。口に青竹をはさまれ舌を噛んで死ぬこともできず、屈辱のときをすごした。
 彼女はそのあと、父母を殺した薩軍什長の渡辺大三の妾として、ひと月を過ごした。渡辺は光子の体をむさぼり飽きると、西下の際に京都へともない、角福楼へ身売りさせたのである。
 光子は両親の仇に身を売られ、吉兵衛の厳重な看視のもとに、客をとらされてきた。渡辺は京都へくるたびに、彼女と枕を交わした。
 寝ている間に、光子に殺されないよう、刃物をかくしていないかと彼女の体をあらためる用心ぶかい男であった。
 四つ半(午後十一時)過ぎに、花乃は宵のうちからきていた馴染み客を送りだした。
 帳場へゆくと、談笑している声音を聞き、渡辺がきたのだと知った。
「お、花乃か。もう客は帰したのか。ほれ、今夜は渡辺はんがきていやはる。抱いて寝てもろうて、ひさしぶりに甘えるのやな」
▲UP

■光子を救い出す

<本文から>
「うむ、ご苦労」
 周三は身をおこした。
 夏障子のかげから、島田督の女が姿をみせ、敷居際に額をつけ挨拶した。
「こんばんわ、おおきに」
 顔をあげた花乃という妓をみて、周三は息がつまった。
 濃い化粧をほどこしてはいるが、まぎれもなく光子であった。光子も表情をこわばらせ、身動きもしない。
「まあ、どないしやはったんや、花乃はん。お客さまがお知りあいかいな」
 仲居の声を聞き、周三は無理に笑い声をたてた。
「いや、あまりの美形だから、思わず気をのまれ、口をきくのも忘れたぞ」
 仲居は唇に手をあて、追従笑いをした。
「そうどっしゃろ、いま花乃はんはうちの店ではいちばんの売れっ妓どっせ。ふつうは一見のお客はんはおことわりするんどっけど、渡辺さまのお友達どっさかい、特にあがっていただいたんどっせ」
 仲居が座敷を出たあと、周三は光子のそばに走り寄り、背を抱きしめた。光子は身をこわばらせ、周三の胸に顔をおしあてはげしく泣きむせぶ。
「探したぞ」お光。俺とおまきは去年の五月十五日からのち、江戸じゅうを探し、駿府へもいったがお前はみつからなかった。まさかここで逢えるとは、夢にも思わなかったぞ。当地へきてまだ日が浅いが渡辺大三という監察司が父上の煙管をもっていたのを知り、そやつが仇かと思ってとりおさえ、懐をさぐってみて、この店のかきつけを見つけたんだ。抱え妓の花乃に会えば、何かわかると思ってみたが、お前が花乃と名乗っていたとはな。会えてよかった。こののち俺たちきょうだいは生死をともにするんだ」
 光子は脂粉のはだらにはげおちた顔をあげ、兄に訴えた。
「兄さま、お父さまとお母さまをめった斬りにして殺したのは、薩摩の兵隊でございました。渡辺はあの頃、半九郎という名で薩摩歩卒でございました。私は兵隊どものなぐさみものにされたあげく、半九郎の妾にされ、そのあと、この京都まで連れてこられ、この店へ売られて、生きながら畜生の境涯へおとされました。いままで生きてきたのは、いつか半九郎を殺して、仇をむくいたいとの一心からであったのです。半九郎を殺せば、自害して積れた体を京都の土にしようと、そればかりを念じて参りました」
 周三は光子の背をなでさすり、なだめる。
「お前が体を穢されたのは、逃れようもない災難だったんだ。お前の落ち度ではない。俺は榊原先生の門下で相弟子だった、大岡、島村と京都へきている。そのわけは詳しく話す間がないが、とにかくここを出よう」
▲UP

■政府転覆の望みがなくなりロンドンへ行く決意をする

<本文から>
 政府を倒したいが、しだいに望みは薄くなってくる。
 彼は過ぎてきた苦難のにがい味わいをかみしめていた。
 むしあつい楽屋のなかで刀を研ぐ周三の額から、汗がしたたりおちた。
 月沢が話しかけてきた。
 「お主たちも苦労をしているんだな。命を的にはたらき、政府転覆を画策して、はたしてその実はあがるのか」
 周三は月沢の問いに、思わず坐りなおした。彼の胸にわだかまっている絶望の思いに、じかに触れられたからである。
 「どうにも無理のようだ」
 周三はすなおに答えた。
 「去年の廃藩置県では、全国諸藩がすなおに政府の指図に従うまいと思った。第二の維新がおこると不穏の噂がひろまったが、なにごともおこらず、藩は消滅し、府県が生まれた。ドイツ式ツンサール銃隊一万三千人、大砲七十五門、騎兵隊五百騎と五隻の軍艦を持ち、外国武官に第二のプロシヤといわれた紀州藩でさえ、ひとりでは立つことができなかった。そののちは、政府の内紛を待ち、百姓一揆を誘導して、世上を動揺させるしか方途がなくなった。政府を倒すのに旧幕府同志だけではなく、薩長派内部の不平派の力をも借りなければ、何事もおこなえぬ有様だ」
 「では、なぜ思いきらぬのだ。反政府の運動をしておれば、万一のことがあれば命にかかわるぞ。さわ子殿や光子殿をふしあわせにしてもいいのか。お主たちが政府転覆の運動をつづけるのは、薩長藩閥の支配のもとで暮らしたくないためであろうが」
 「そうだ」
 月沢は、研ぎあげた刀を油布巾で拭き、鞘に納めながらいう。
「それならば、俺といっしょに外国へきてはどうだ。世界は広いぞ。日本の狭い国土のなかで、たがいに刃にちぬって戦う修羅道のあがきをつづけるよりは、イギリスヘいこうではないか。弁天丸心ら金檀をとりもどせば、それを元手に、どのような商いもできる。お主たちのように学問のある者なら、英語もじきに身につく。どうだ、俺の一座といっしょにロンドンヘ行かぬか」
「ロンドンか、それもいいな。薩長の支配の卑とで暮らすわけだからな」
「その通りだ。世界第一の大都会で、子供を勉学させてやれば、日本では望めない新知識を身につけることができるぞ」
 周三は、考えこむ。
 月沢は初五郎と勘次にも誘いかけた。
「お前たちも、いっしょにいこう。イギリスは四民平等の社会で、貴族らの支配する国とはいえ、官員がいばるようなことはなく、まことに住みやすい。日本を出れば、俺のいうことがほんとうだと分かるよ」
 周三は大岡と顔をみあわす。彼の気持ちは動いていた。
 周三は聞く。
「お主はいつロンドンヘゆくのだ」
「九月のはじめには出立するサもりだ」
 月沢の返事を聞いて、周三は大岡をふりかえる。
「俺たちも、いってみるか」
 大岡は、はっきりとうなずいた。
「うむ、考えてみれば、いまが思いきるときかも知れぬ。日本で志を遂げることなく死ぬよりも、
外国に新天地を求めるほうがいいだろうからな」
 オランダ語を学んだことのある大岡は、ヨーロッパに興味を抱いているようであった。
「これは思いがけぬことになったな」
 周三は勘次、初五郎に聞く。
 「どうだ、お前たちもいってみるか」
 二人はうなずく。勘次が答えた。
「あっしも初五郎も、旦那がたについていきやす。天竺の果てであろうと構やしません。日本におれば盗っ人だもの、畳のうえじゃ死ねねえ身のうえでござんすよ。死ぬよりは、外国へいって知らぬ景色を眺め、食ったことのねえものを口にして、生きるほうがようござんすからね」
「そうか、では話は決まったぞ」
 周三は膝をうった。
「月沢、聞いての通りだ。俺たちはお主についていくぜ」
「さわ子殿、光子殿に聞いてみないでもいいのか」
「構わぬ、よろしく頼む」
 周三は手をついた。
 月沢は周三の腕をとった。
「そんな固くるしいことはするんじゃない。俺たちは昔の同志だ。これからも助けあっていこう」
 周三は、月沢が方途に迷っていた自分たちを救ってくれる、神仏のように思えた。
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■日本人月択一座の足芸興行

<本文から>
 明治九年春ロンドン水晶官に、日本人月択一座の足芸興行の小屋がかかり、市民の人気をあつめた。
 月沢と鉄剤り源吉ら五人の芸人は、ペルー、ハバナ、メキシコと巡業をかさね、アメリカで一年余をすごしたのち、ロンドンに渡った。
 連打、客が小屋に入りきれない盛況がつづいて、羽振りのよい月沢は、アメリカ、カリフォルニアで祝をわかった白根周三、さわ子夫婦と、大岡操、光子夫婦、勘次、初五郎の身のうえを心配した。
 「いまごろこんなに景気がよくなるのなら、白根たちを無理にでもロンドンまで連れてくるのだったなあ。いまごろは、どうしているだろう」
 だが、周三たちはアメリカ大陸にたしかな根をおろしていた。彼らはカリフォルニアで知りあったアメリカ人牧師、ドクトル・ハリスと、鹿児島県士族磯永彦助の経営する葡萄園経営に尽力していた。
 磯永は旧幕臣の周三たちにとっては、不倶戴天の仇である薩摩人であったが、高潔なクリスチャンとなった彼には、敵意を持てなかった。
 ドクト、ル・ハリスが死去したのちは、磯永が葡萄園主となる。明治末期には磯永葡萄園は、周囲二十キロの大規模なものとなり、その資産は二千万ドルに達した。
 周三たちは、三百人の従業員を指挿し、「サクセス・ワイン」と称する美味なワインを、ヨーロッパ、東洋から日本まで輸出する。
 彼らは祖国を喪失した異邦人として、望郷の念に胸を焦がしつつも、平和な晩年をカリフォルニア・サンタローザの町で送ったのである。
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