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<本文から> 彼の目的とは一体なんだったのでしょう。もちろん天下一統ですが、信長の時代は、天下というのは、日本全国という観念ではなくなってきていました。そのころ、天下といいますと、唐、朝鮮、天竺(インド)、それにもうヨーロッパもその観念に入っていますから、信長は、その全体を天下と心得ていたと考えられます。ですから、天下一統といったら、ヨーロッパはさておいて、インドぐらいは、信長の頭の中でイメージされていたはずでしょう。
彼は、そういう構想の中で、天下一統の政権をつくることを考えていたし、そのために政権の組み替え、つまり、構成分子の組み替えをしたのだと思います。性格は信定や信秀からの遺伝かもしれませんし、部分的に斎藤道三の長所を取り入れたとしても、基本的に、信長の心の中には偶像がなく、先入観であるとか、先入主がないわけです。だからこそ、このような構成分子の組み替えという大胆で、冷徹ともいえる発想が可能になったといえるでしょう。 |
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