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<本文から> 法興和尚は道端にひぎまずき、隊列を見送ろうとした。
輝虎は目ざとくこれを見つけ、近侍の本庄清七郎を呼び、法興に問わせた。
「兵を進むるに神速なるを規矩となす。法を弘むるの方便、何をもって規矩とす」
法興は衣の裾を払い、しずかに立ちあがった。
法興和尚は答える。
「兵を進むるに死を先にす。法を弘むるにも死を先にす。今日当体(輝虎)生を知って死を知らず」
輝虎は馬を下り、払子軍配を打ち振って、重ねて聞く。
「弱きを見て退き、強きにむかいて進む。逆なるか順なるか」
和尚はためらわず答える。
「死を恐れざるものは安く、生を楽しむものは危うし。強弱進退死生の迷悟、あたれるや」
輝虎は破顔して一言告げた。
「死のなかに生あり、生のなかに生なし」
「珍重、珍重」
和尚はうやうやしく拝礼した。
輝虎はほじめ進退遅速を問い、ついで強弱順逆を問うた。
だが和尚は進退強弱をあげつらうべき問題とせず、ただちに生死に言及して、輝虎は死を知らずときめつけ、死生超脱の意を告げたのである。
和尚の言葉は、輝虎の心中の琴線にふれた。
輝虎は春日山城中の壁書に、「生きんとすれば必ず死するものなり。帰らじと思えばまた帰る」
と大書していたが、和尚のいうところに合致する境地であった。 |
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