津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          幕末京都血風録

■寺田屋の悲劇

<本文から>
 新七は一語ずつ絞りだすような声で、あきらかに君命を拒んだ。それは家来として、自らの死を招くことを意味する。
 喜八郎はもはや一歩も退けない。鋭い声音で叫んだ。
 「君命に背くとは、何事かっ。おまんさあ、腹を切いやい」
 新七のあばた面が、燭台の火明りのなかで、ひきゆがんだ。
 「たとえ大殿様の君命じゃちゅうてん、宮のご用が終るまでは、死ぬわけにゃゆっもさん」
 「どうしてん聞かんち、いいやすか。おいどんたちゃ、上意討ちの君命を帯びちょっとじゃが、そいでんよかな」
 「しかたはなか」
 喜八郎の傍から、道島五郎兵衛が居合腰をみせて、激しく新七を詰った。
 「おい、どうしてん、聞っきゃらんつもいか」
 そのとき、五人の鎮撫使が遅れて到着した。その.なかには藩中随一の剣技の持主と噂される大山格之助(綱良) の顔も見えた。板間に正座した柴山愛次郎はおちついて答えた。
 「ここに及んだうえは、何ちゅてん聞かん。上意討ちならば討たれてやる。斬いやい」
 愛次郎の背後に立つ鎮撫使山口金之進が、その言葉に誘われるように大剣を抜き、するどい気合で夜気をつらぬいた。
 山口の刀身は、愛次郎の左肩から胸にかけ、袈裟掛けに斬りこんだ。皮肉を断つ激しい音とともに血しぶきが噴きあげたが愛次郎は正座したまま倒れない。
 「チエエーイ」
 逆上した山口は、右肩から袈裟にうちこむ。たすきがけに斬られた愛次郎の首は、異常な響きとともに宙に飛び、板間に落ちた。
 「チエエーイ」
 「そりやああっ」
 向いあう男たちは、いっせいに抜刀した。道島五郎兵衛は、向いあう田中謙助の眉間を、「上意」と喚きながら一瞬に斬った。謙助は眼球が飛び出して倒れる。
 ほのぐらい土間に気合が湧き、刃こぼれの火花が稲妻のように散る。有馬新七は田中謙助を斬った道島に猛然と斬りつけた。新七は近間の駆引きが得意であるが、激しく斬りあううち、刀身がふたつに折れた。
 有馬は刀を捨て、道島の胸もとにしがみつき、壁に押しつけた。はねのけようとする道島ともみあう新七の眼に、どこから来たのか橋口壮介の弟吉之丞の顔がうつった。
 「俺ごと刺せ、俺ごと刺せ」
 新七はとっさに喚き、興奮して口もきけない吉之丞は、柄も通れと有馬の背から一気に二人を串刺しにした。
 橋口壮介は、前後左右から斬りかかられ、必死に刀をふるうが、階段に背をうちあてよろめく隙に、右肩を乳下まで斬りさげられて倒れる。階下の厠に入っていた森山新五左衛門は、物音を聞きつけ駆け出て、脇差をふるって果敢に戦ったが、全身なますのように斬られ、力つきて土間に転倒した。
 二階の志士たちは門出の酒をくみかわし、騒がしく言葉を交しつつ支度をととのえていて、階下の物音に気づかなかった。
 「どうも遅かね、様子を見っくつか」
 橋口伝蔵が弟子丸龍助に声をかけ、立ちあがったのは、階下の激闘が一段落した後である。
 「妙をにおいじゃね」
 龍助が階段の下をのぞきこむ。鼻孔をさすにおいは、まぎれもなく血潮のそれである。ほのぐらい階下の板問に、無いものが二個見える。土間にも転がっている。
 あれは人影だ。伝蔵はとっさに味方が斬られたと覚った。愛次郎どんも壮介どんも死んだ。そうでなければ、このように静かなはずはない。
 龍助が右手に自慢の主水正正晴の力を提げ、階段を下りるのを、伝蔵は「待て」ととめた。龍助は足を停めなかった。いきなり誰かがあらわれた。下りかける龍助の腰のあたりに自刃がひらめき、龍助は姿勢を崩し転げ落ちる。大勢の黒影があらわれ、彼のうえに乱刃を浴びせた。
 龍助の叫喚が、敵の気合のなかにまじって聞え、傷ついた彼がよろめきつつ刀を振るのが見えたが、たちまち倒れ伏した。
 伝蔵は龍助のあとを迫ったが、階段の右脇で、刀を左トンボに構えている大山格之助と眼があい、立ちどまった。
 「来い」
 格之助が、低い声で誘った。その音声にはさまざまの意味がこめられている。
 蛎段を下りれば、かならず足を斬られると知りつつ、伝蔵は駆け下りた。彼の内部にたぎるものがあった。愛次郎も壮介も死んだ。俺は腕前を見せてやっど。
 格之助の剣が一閃し、伝蔵は右足を斬られる。彼は片足をひきずりながら刀を置きトンボに構えて叫んだ。
「誰が俺に敵うか。誰が俺に敵うか」
 伝蔵の刀身は、鉦をうちたたく音をたてて、幾本もの刀と斬りあう。狭うて、どうにもならんと、伝蔵は焦る。殺気を放射する眼球が、彼をとりかこんだ。
 伝蔵はたちまち背や肩に傷を負うが、気持は昂っていた。
「チェエーイ」
 彼は鈴木勇右衛門の横面に、すさまじい一刀をうちこんだ。勇右衛門は鯉のように口をあけてくずおれる。
 伝蔵は右トンボに構え、次の敵に向って刀身をふりおろそうとしたが、あおむけにのけぞり動転する。剣尖が低い天井の横桁にくいこみ、抜けない。
 たちまち全身に棒で打ちのめされるような衝撃が走った。
「こげなこつがあっか」
 伝蔵は倒れながら叫ぶ。
「愛次郎、壮介、俺も行っど」
 血に覆われた板間に頼をつけ、うすれてゆく意識のうちで、彼はつぶやいた。
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