津本陽著書
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          幕末御用盗

■小林は自顕流の斬り手

<本文から>
 小林は京橋大富町、南八丁堀沿いにある江戸三大道場のひとつ、桃井春蔵の鏡新明智流士字館で、無敵の名をとった剣士である。
 師匠の桃井春蔵と本気で立ちあえば、勝てるのではないかという者も多い。江戸詰めの庄内藩士のあいだでは、真剣勝負はともかく、竹刀をとっての試合では勝てる者がいないといわれていた。
 小林は庄内藩邸の道場で、新太郎と顔をあわせたことがあるが、稽古をしたことがない。「一手お願い申す」と頼むと首を振るので、嫌な奴だと思っていた。
 彼は神田に自分の道場を持っていて、弟子も大勢いた。
 谷口がいった。
 「小林が強盗をしているらしい」
 「えっ、証拠があるのか」
 「うむ、薩摩御用盗といって町屋に夜中押し入り、何千両も盗んでいくそうだ。町方役人が探索している」
 薩摩三田屋敷に集まった五百余人の浪人たちが、町方役人を寄せつけず、豪商の住居に押し入り、大金を強奪し、あとを追う者に威嚇発砲して、船で引き揚げるさまが、市中で喧伝され、薩摩御用盗と瓦版で名づけられた。
 小林は四、五十人の部下を率い、昼夜市中を見廻っている。小林組の組頭であるから、見廻り先で立ち寄る豪商の家では、丁重なもてなしをうける。
 その際に、家内の様子をくわしく調べ、大金を貯えていると分ると、夜中に腹心の連中を連れ、乱入して金箱を奪い去るというのである。
 「小林がさようなふるまいをするならば、本藩の面汚しだ。生かしてはおけまい」
 新太郎が両眼に炎のような光りを宿した。
 彼は幼時から「一ノ太刀ヲ疑ワズ」と教えられてきた、自顕流の斬り手であった。 
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■新太郎は新徴組を脱走して薩摩藩邸に入って倒幕に働く

<本文から>
 新太郎は十六歳で江戸に出てのち、水戸にある天真正自顕流の道場に入門し、そののち鹿島新当流の道場に移ったのである。
 新徴組に入ったのは、朋友の小林勝之進に誘われたためである。年若い二人は、冒険を経験するために入隊したのであって、尊攘志士というわけではなかった。
 海江田はかさねて聞いた。
「お前んな、先月品川徒行新宿の唐物屋へ押し入った偽御用盗を四人斬ったことがあっじゃろ」
「たしかに斬い申した」
「そんとき、お前んがトンボの構えを出したのを、益満どんと伊牟田どんが、くらがりから見ちょった。どこでん見かけた気がすっと思うちょったら、大迫の新太じゃと思いだした。それで俺に連れてきてくれんかと頼んだわけじゃ」
 新太郎は益満とともにはたらいてみたいと気が動いた。
 新徴組を脱走して、倒幕のためにはたらくのは男子の本懐ではないかという海江田の意見に納得できる。
 勝之進を誘うと、いっしょにゆくという。
「幕府はどうせ長保ちはしないよ。いまのうちに、おのしといっしょに薩摩藩邸に入って、ひとあばれするのもおもしろかろう」
 勝之進は水戸学をまなんだ尊攘浪士である。幕府の機関に属してはたらくことにかねてわだかまりがあった。
 それで、新太郎と勝之進は海江田にともなわれ、新徴組を脱走して三田屋敷に入った。
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■相楽らに無実の罪をかぶせ逆賊として処断

<本文から>
 一番隊の兵は三百人ほどであった。それぞれ陣羽織を着て五、六十人が小銃を持っている。
 砲車のついた大砲六門、長持三樟、弾薬四荷。隊長相楽総三は緋の陣羽織を着て、鉄扇を持ち、黒馬に乗っていた。
 これは本陣亀屋の主人、岩波太左衛門の語ったものである。亀屋に相楽以下六十人が泊り、脇本陣丸屋、桔梗屋へ六十人ずつ泊り、他は別の宿屋へ泊った。
 一番隊が到着すると、附近の領主たちが武器兵糧を送り、亀屋の門前に山積みされた。相楽総三と称する人物は三人いて、亀屋の主人でさえ見分けがつかないほどおなじ格好をしていた。
 幕府の間諜が宿場に入りこんでいて、見廻りの隊士が怪しい者は捕え、訊問して敵と分れば斬りすてた。
 大迫新太郎は、正月二十五日に一番隊が鵜沼宿を出立する重刑、駆けつけてきた伊牟田尚平に、ひそかに朝廷の内情を聞かされていた。
「お前んは同郷じゃ。いま俺どもがどげん朝廷から見られておるか、いい置いておくぞ。よう聞いちょけ。いま、官軍は軍資金が無ごなっちょる。動きがとれんのじゃ」
 伊牟田はおどろくべき事実を語った。
「東山道鎮撫総督は、岩倉具視の子旦定と八千丸が正副ときまり、正月二十一日に京都を進発して大津まで進んだが、そこで動けん事になった。軍資金がなかゆえじゃ」
 東山道軍は、三井組の調達した三千両の資金でようやく進軍を再開できたという。
「朝廷では、まえに租税半減の勅定書を相楽に与えておっじゃろがい。三井組はそれを嫌がっちょる」
 東海道、東山道を東へむかう鎮撫総督の軍勢はもちろん、大坂から海路をとり東下する東征大総督有栖川宮職仁親王の率いる軍勢も、大坂で軍資金を民間から調達しなければ、発足できない実状であった。
「官軍に大金を融通する三井組らは、もっとも利の取れる年貢米の一手取扱いを望んでおっ。じやつどん、赤報隊は年貢半減の勅定を布告する。朝廷は勅定を取り消せぬので、赤報隊を東海道先鋒総督府の指挿のもとに置き、室員半減令を告知させぬようにいたすつもいじゃ。相楽どんが桑名へ戻らず、こんまま碓氷峠へ進むなら、朝廷は無実の罪をかぶせ、逆賊として処断いたすにちがいなか。お前んは、いよいよ危なかときは逃げよ。犬死にしちゃいけん」
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■御用盗が邪魔になり、消される前に商人になる

<本文から>
 新太郎は流れる涙をぬぐいもせず、休之助にいった。
「相楽さんは、薩長にとっては勲功ある恩人ではごわはんか。そいをなんでそげなむごか処断をしたとや。それでどげんして天下の政事をとりおこなえもんそかい」
 休之助は新太郎をなだめた。
「相楽さんは物事の裏表を読めん人だったから、危ないと思うても逃げなんだからのう。貧乏くじをひかされたんだよ。おどろいたことはほかにもある。伊牟田尚平も、先月の末に部下が京都、大津で辻斬り強盗はたらいた責めを負わされ、二本松の薩摩藩邸で腹を切らされたんだ」
「えっ、なんで江戸浪士組を指図したお人らが、殺されにゃいかんのか。俺にゃ分らん」
「うむ、それはここへきて、西郷さんと長州の連中の意見があわんからだな。長州は幕府とどうあっても一戦して、武力で押さえつけてしまいたい。西郷さんは、なるベくおだやかに乱を納めたい。
 長州は幕府を滅ぼすまえに、江戸で御用盗をはたらき、鳥羽伏見の動乱の端緒をつくった生き証人を消したいのだ。そうしなければ、さような貯計をめぐらして、征討の口実をつくったと世に知られるからな。薩藩のうちにもおなじ意見の者がおる。俺もお前らも、狙われているんだ。
 道具には使ったが、いらなくなりや捨てなきゃいつ災いの種になるか分らないからな。だから俺はお前たちと、武士を捨てようと思っているんだ」
「武士を捨てて、何をいたし申すか」
「商人だよ。お前らも知っているだろうが、外国じゃ士農工商の別なんぞはないんだ。いまに日本も外国と同様になる。商人になれば、命を落すことも怪我することもなくなって、金儲けをしてりやいいんだ。
 だから今日は平野屋を呼んだ。俺たち三人が平野屋に弟子入りして、商人になるのさ。落合、権田のご両人は、岩倉具視の懐に入りこんでいるから、気遣いはない。俺たちも商人になってしまえば、昔の行状をあばきたてられることもすくなくなるだろさ」
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■赤報隊が偽官軍として潰滅させられた仇を討つ決意

<本文から>
 勝之進は、命を的にしてはたらいていた赤報隊が、偽官軍の名のもとに潰滅させられたと聞き、顔から血の気がひいていた。身内に憤怒が燃えあがっているのである。
 新太郎は勝之進が商人になろうとする真意がどこにあるか、ほぼ分っていた。落合直亮と権田直助は、岩倉具視の密偵として江戸にいるが、彼らも相楽総三と伊牟田尚平の死を知れば、岩倉への復讐をくわだてるにちがいない。
 新太郎たちがこののち官軍に籍を置かず、商人になれば行方を追及されることはない。商人としてはたらくうち、赤報隊を抹殺し、伊牟田尚平を自滅させたのが何者であるかを探りあて、仇を討つのだ。
 新太郎も勝之進に同調した。
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■新太郎と勝之進は商人として生きのびた

<本文から>
 新太郎はその日の夕方、上野にゆき、戦闘が終っていて混雑する薩軍陣所で西郷に会い、休之助の負傷を告げた。
 西郷は幕僚たちとあわただしく話しあっていたが、新太郎に会い、ただちに休之助を横浜の病院へ運ばせると約束した。
「そやいけん。俺が兵隊に守らせて横浜へ回送いたし申そ」
 西郷は翌一六日、繁忙のなか小荷駄方に特に船を出し、休之助を横浜へ運ぶよう指令を下した。
 休之助は二人の子供を枕もとに坐らせ、玩具で遊んでやっていたが、熱が高く、食物が喉を通らなかった。
「庇口が、虫歯の痛むように痛みやがって、どうにも膿んだようだぜ。やっぱり足を切りとってもらって、さっぱりするほうがいいだろうな。片足でも垂冗はできるからな」
 休之助は無理に笑ってみせた。
 新太郎と勝之進は十八日、休之助につきそい、西郷が派遣してくれた兵隊三人とともに横浜へむかった。手術は順調に終り、傷の治癒を待つばかりだと新太郎たちは安心したが、休之助は破傷風を併発し、二十二日に息をひきとった。二十八歳であった。休之助が狙撃された加賀藩邸附近の地面には、破傷風菌が多いとかねていわれていた。
 新太郎と勝之進はその後横浜に移り、土木業者となった。美咲が新太郎の妻となったのは、いうまでもない。新太郎と勝之進はそれまで経験したことのない、商人の生活をはじめ、未知の大海へ泳ぎだしていった。
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