津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          幕末大盗賊

■浪士隊は全滅するのを望まれていた

<本文から>
 益満は不機嫌な声になった。
「貴公らはすべて、芝浦沖から軍艦で京都へゆく中部になっている」
 山田はうなずき、口をつぐむ。
 このうえ益満の機嫌をそこねるようなことをいえば、暗殺されかねない。
 山田の推測のとおり、益満は彼を警戒しはじめていた。
 (気をつけねば、こやつは浪士隊から脱走しかねない。監察のうちでも人望のある男だが、隊の結束を乱すなら斬るよりほかはあるまい)
 腕の立つ山田を殺すには、鉄砲を用いるか不意打ちをかければよい。もっと簡単な方法は、毒殺である。
 (そのうちに、押し込みの手違いを起こして死ねば、手間がはぶけるが。いましばらく様子を見ることにするか)
 山田の態度が変わってきたのは、内藤縫之助を斬殺したのちであった。
 江戸撹乱の手先に使われ、盗賊の所業をあえてしている自分の将来に抱いていた不安が、内藤の処断を機に、頭をもたげてきたようであった。
 益満は山田の推測が的中しているのを知っていた。西郷ら薩藩首脳は、浪士隊に江戸で御用盗をはたらかせたのちは、後日に悪事の証拠をのこさないよう、彼らを解散させようと考えているにちがいなかった。
 解散させるよりも、薩長が幕府と開戦したとき、彼らが先陣に立って戦い、全滅するのを望んでいる。
 わざと危険な戦闘に駆りだされるおそれは、多分にあった。益満は西郷の腹心として目をかけられていたが、もしかすると自分も浪士隊といっしょに蒸発させられることも、ないとはいえないと、危ぶんでいた。 
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■盗人として長屋に潜む

<本文から>
 二人は長屋を二軒つづきで借りうけ、大工を呼んで壁を打ちぬき、風呂、厠を建て増して住み心地よく改造した。
 畳建具を新品と入れかえると、澱のにおいのただよっていた長屋の一隅が、にわかに面目をあらためる。
 引っ越しの挨拶にと、近所へ浴衣地を二反ずつくばったので、二人の評判はよかった。
 「女っ気がなくて、でけえ体のお侍二人たあ、ちと妙なとりあわせだが、いまどきのご時世だ。なんぞ訳があってのことだろう。俺らたちゃ、日本差が来てくれて、用心がよくなってありがてえや。夜なかに押し込みにはいられねえだろうかと、気にしねえでもよくなったからよ」
 「なにいってやんでい。手前っちに盗まれるような、ありがてえ物があるってのか」
 「そりや、もののたとえというものさ。何にしたってよう、吹けば飛ぶような俺たちの長屋へ、お侍が二人も来るなんざ、いままでになかったことだぜ。豪儀なもんじゃねえか」
 山田たちは当分動きをひそめ、世間の様子をうかがうこととした。砂村新田に埋めておいた千両箱は、引っ越しの荷と見せかけ、机、箪笥などといっしょに大八車に積み、室内に運びこんでいた。
 どこへ隠しておくか、相談したあげくに、土間の隅に掘らせた井戸の底に、沈めることとした。
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■彰義隊の軍資金一万両

<本文から>
 「それが、たいへんな頼みごとでしたよ」
 「ほう、いかなることだ」
 「小石川に御旗奉行をつとめ、三千五百石をとっていた、長沢丹波守という人の屋敷があります。その家の台所の古井戸のなかに、彰義隊の軍資金一万両を投げこんでいるというのですよ」
 「それを引き揚げてきてほしいというのか」
 「そうです。その金は、もと使番格の小田井蔵太殿が江戸城から持ちだしたものだそうですが、小田井殿の小姓であった新太郎だけが、隠し場所を知らされていたのです。小田井殿は会津へ下られたそうですが、彰義隊頭並の天野八郎は、四谷鮫ケ橋の円応寺という禅寺に隠れているはずだから、天野に隠し場所を知らせてやってほしいというのです」
 「なるほど、こいつはたいへんな話だ。小石川辺りの旗本屋敷は、いまつぎつぎと官軍屯所になったり、太政官役人の住居になったりしているそうだから、引き揚げるなら早くしなけりゃなるまい。一万両といえぼ、五十貫の荷だぜ。そう手軽に持ちはこびできるものではない」
 山田は加藤の駕寵脇につきそい歩きながら、人の考えというのはよく似たものだと思っていた。
 彼が龍造寺浪右衛門と住んでいる、薬研堀埋立地の克屈の、土間の隅に掘らせた井戸の底には、七千両の古金を沈めてある。
 近藤道場に戻った二人は、新太郎の願いをなんとかして成就させてやりたいと、考えた。
「まず、天野に事情を知らせてやらねばなるまい」
「そうですね。四谷の円応寺へ天野をたずねてゆきたいのですが、この足では無理でしょう」
「うむ、知らせに出向くのなら、俺がかわりに行ってやってもいい」
「それはありがたい。山田さんにお願いできるなら、私の肩の荷も下りるというものです」
「では、さっそく出かけてみるか」
 昼過ぎに、山田は近藤道場を出た。
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■質屋を営み身を隠す

<本文から>
 草履、下駄ばき、草鞋など、足ごしらえも雑多で、裸体に汚れた上衣を羽織るようにして、帯も巻かず、裾をなびかせ禅をあらわにして往来を歩く者さえいる。
 幕府が融解してのち、人口の激減した東京では、大商人といわれる人々は店を閉じ、いなかに引きこもっていた。
 鹿島屋が開店早々から繁昌したのは、市中の金貸し、質屋が盗賊の難をおそれ閉店していたためであった。
 鹿島屋清兵衛と名乗っているのは、山田兼三郎である。万六は龍造寺浪右衛門であった。
 山田の女房は、深川仮宅老松屋の妓、小職であった。浪右衛門の女房は、老松屋の女将おはまである。
 おはまは老松屋の経営を姉に任せていた。山田が小照を妻にしたのは、浪右衛門にすすめられたからである。
「旦那、これからは薬研堀裏店に住み、米沢町で薪屋をやるのは、剣呑でござんすよ。官兵だってばかになりやせん。いつか喚ぎつけられねえとも限らないとすれば、もっと世間に通りのいい大店を張ったほうがいい。あっしが考えているのは、京橋か日本橋界隈に質屋をひらくことでござんすがね。旦那が主となり、あっしが番頭役をするとなれば、やはり女房がいる。旦那もここらで身を囲めてくださりや、いいんですがねえ」
 山田は浪右衛門が突然に、思いがけないことをいいだしたので、驚く。
「なに、女房だと。誰を貰いうけるのだ」
浪右衛門はすかさずいう。
 「老松屋の小照でござんすよ。あの妓なら気立てはいいし、お職を張るほどの器量よしでござんすから、旦那も承知してくださるんじやねえかと、内々おはまと相談していたんでさ」
 「うむ。まあよかろう」
 浪右衛門は山田の返事を聞くと、膝をうった。
 「ありがてえ、これで店開きのめどがついたようなものでござんすよ。あっしもしばらくおはまに店を休ませ、いっしょに暮らすつもりでいるんでやす」
 「質屋の仕事は存じておるのか。手代、小僧を集められるか」
「それはもう、仲間うちから手利きの者がいつでも参りやす。なにせ、盗人と質屋は親戚のようなものですからねえ」
 山田は笑い声を洩らす。
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■大海へ逃げる

<本文から>
 探偵がポケットに右手を入れたのを見て、山田は首筋をめがけ、手刀を振りおろした。
 探偵は声もなく倒れた。
 「しかたがない。仏になってもらおう」
 山田は失神している探偵の肩口に短銃の筒口を押しっけ、引き金を引いた。
 その日の昼過ぎ、鹿島屋をおとずれた客は、いくら声をかけても誰も出てこないのに不審を抱いた。
 家具調度はそのまま置かれ、土間に下駄、寄掛さえ並んでいたが、女中ひとりさえいなくなっていた。
 「こいつはおかしいぜ。番人の屯所へ知らせにいけ」
 簡袖ダンプクロの番人が駆けつけてくる。
 家内をあらため、土蔵の鍵を打ちこわしはいりこんでみて、血に染まった探偵の姿を発見したのは、午後三時に近いころであった。
 その時刻に、山田、浪右衛門と小照、おはまは、深川仮宅老松屋の離れに戻っていた。浪右衛門の仲間は、山田たちを逃がす千石船の調達に出向いていた。
 日が暮れてのち、大木戸の甚兵衛が来た。
「山田の旦那、よろこんでくんねえ。貢ぎ売り船が見つかったぜ。千二百石の米廻船だ。千二百両っていったのを言い値で買い、船子も傭ったよ」
「船頭は誰がやるんだ。舵取久がいなけりや、船は動くまい」
 山田がいうと、甚兵衛はおかしそうに浪右衛門と顔を見あわせる。
「旦那え、俺も兄苛ももとは木更津育ちで、船子だったんだよう。舵は俺っちがとるぜ」
「そいつはいい」
「明日は船出だ。このところいいぐあいに海はベタ凪よう。さあ、海のうえで思いっきりあばれようじやんか」
甚兵衛の声に、山田は沖にむかう船上のわが姿を脳裡にえがいた。
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