津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
           嵐の日々

■和中時代の大脱走の結果

<本文から>
「何や、何かあったんか」
 角野がたずね、一人が答えた。
 「いま日直当番の五年生が、えらいこと教えてくれたんや。和中第一中隊、第二中隊あわせて四百名は、三つに分割されるらしいで。播磨造船へ行くものと、大阪の藤井寺にある飛行機部品の工場へ行くもの、川崎航空へ残る者に分けられるそうや。ここに残る者は、百人ほどになるらしいで」
 皆は、その噂に衝撃をうけていた。誰もが川崎航空機での生活に飽きはてていたので、いきなり降って湧いたような配置転換の諸に、魅力を感じていた。
 「大勢でいてるよりも、小人数で働くほうが家族的でええわなあ。教師の取締まりかていまよりきつうないやろし、囲ももっとええかも分らんで」
 「それや、その餌のことやけど、造船会社の配給は特別ええんやてなあ。川崎みたいに食堂がピンハネして、豚の餌みたいなもの食わすとこから見たら、天国みたいらしいで。わいら、そこへ働きに行きたいなあ」
 例によって、さまざまの憶測が皆の間で行われていた。誰かがいった言葉が、私を刺した。
 「五年生の首謀者とみなされる連中は、退学のかわりに、満鉄社員として働きに行かされるらしいで」
 私たちは不安のうちに日を過ごした。さまざまの憶測が皆の間を流れた。工場内の各職場で、和中隊の生徒は白眼視されることがいよいよはなはだしく、愛国者ぶった伍長に鉄拳制裁をくらう者さえ出る有様であった。
 十月になると、はやくも和中隊への処分が行われた。脱走の指導者とされた者のうち高田は残されたが、他の十数人は和歌山中学校を中途退学のうえ、満鉄見習社員に採用され満洲へ出発した。
 第一中隊、第二中隊四百名のうち、陸海軍学校へ合格した五十数名の生徒は、いちはやく自宅待機するため、和歌山へ帰された。
 残りの人数は、噂の通り播磨造船と大阪の部品工場にふり分けられる者が選別され、二百数十名が玉津寮を去っていった。
 明石に残留する生徒は、わずかに八十数名となった。私たちは空部屋のつらなる層内で、なるべく蚤のすくない部屋をえらび、毎晩好みの場所で寝た。
 まもなく、工場側から動員学徒に対する取締り規則の変更が発表された。その内容は、従来まったく認められていなかった、郷里の父母との寮における面会を許可し、毎日曜日の自由外出を許可するり夕食後の内務規則の緩和、の三点であった。
▲UP

■空襲

<本文から>
 敵は一機であった。附近に爆撃目標はない。二万米の高空から、ちっぽけな裏庭をB29が見分けると思っている祖母を、笑いながら進んだ。
 つぎの瞬間、期待を裏切られた。空気が体の周りで、凶暴なはためきをはじめたのである。僕は周囲の景色が、明石の被爆現場のそれのように、色さめたよそよそしい表情に変るのを目にしながら、長持を投げ出し、掘ったばかりの穴へ一散に駆けこんだ。
 轟音が地面をゆるがせ、日と耳を指で押さえた僕は、青い闇のなかで全身をこわばらせた。爆弾の落ちる音はそのまま絶えたが、爆音は続いている。
 「啓ちゃん、啓ちゃん」と呼ぶかすかな声で、爆音を聞くまいと一心に耳束へ指をくいこませていた僕は、ようやく顔をあげ、立ちあがった。
 祖母と姉が、けげんな顔で見下している。爆音は消えていた。陽ざしの下に出ると、念入りに空を見まわした。警報解除のサイレンが、ゆっくりと鳴りはじめた。
「外へ出たらあかんいうてるのに。出るよって爆弾落されたんや」
 祖母が分ったふうにいう。故郷も、もう安全の場所ではないと知ると、のどかな眺めが暗くかげるように思える。姉が僕の顔をみつめた。
 「こないだの爆撃、よっぽどおそろしかったんやの。顔つきがふつうやないわ」
 父が、さきほど落ちたのは一噸爆弾で、一粁ほど離れた市街地で、四十人近い死者が出たと、情報を聞いてきた。
 その夜早くから寝た僕は、床のなかで、母が苦労して手に入れてきた羊羹やカリン糖を、食べていた。二本めの羊羹を食べ終えたとき、サイレンが鳴りはじめた。
 はね起き、廊下に出た僕は、土間に下りようとして激しい嘔気がこみあげ、開き戸にむかって胃のなかのものを、噴水のように吐きかけた。僕は、まぎらすすべもなく恐怖に圧倒され、体を震わせている自分を恥じた。
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