津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          暗殺の城・下

■武田家中の規律は乱れ、徳川側に情報が洩れていた

<本文から>
 武田勝頼は、戦況偵察において、家康に常に一歩を先んじられていた。大井川の氾濫により足どめを余儀なくされた勝頼は、わが武運のつたなさを嘆いたが、彼の耳目となる細作の動きが、徳川の諜報組織に先に探知されているので、家康に遅れをとるのはしかたがなかった。
 甲府における武田家中の規律は乱れていた。勝頼の寵臣長坂長閑、跡部大炊助が、国法、軍法をまげているためである。
 天正六年(一五七八)に高坂弾正が病死してのち、勝頼は二人の意見に動かされ、不公平な政事をおこなうようになった。
 甲府で孕石忠弥という豪強の名のたかい侍が、成敗されたのも、とるにたらない過失を咎められてのことであった。
 忠弥は甘利二十人衆の追捕をうけ、ただひとりで戦い、三人を死傷させて斬られた。家中の侍たちは忠弥の死を惜しんだ。
 「あれほどのはたらきをする者を、陣場で失うはやむをえぬが、わずかの咎で成敗するとは、殿のお心得違いだずら」
 信玄在世の頃、奥近習衆六人のうちにとりたてられ、重用されていた曾根与一助という侍も、とりたてていうほどでもない落度を咎められた。小山田八左衛門、初鹿野伝右衛門が討手となり、曾根の屋敷へ押しかける。
 与一助は屋敷にとじこもり、若党、中間らとともに刀槍をとり、最後の抵抗をしたのち討ちとられた。彼が成敗されたのは、長坂、跡部と日頃から不仲であったためである。
 長坂、跡部は、家中の訴訟公事を裁定するにあたって、謝礼の額に左右され、不公平な判断をすることも多かった。
 長坂らは、富裕な当事者の裁判にあたっては、簡単に決着がつくようなことでも悶着をかさね、不要な謝礼を取ろうとはかった。
 理非を無視して、礼物を多くさしだした者を勝訴とするのである。
 彼らは、富裕な百姓町人を屋敷へ出入りさせ、近習、物頭衆が知らないような軍事の秘密を、得意になって教えてやった。秘事を聞いた百姓町人は、たちまち仲間にしゃべりちらす。
 御館のうちで、重臣のみを集めての秘密の軍議の内容が、翌日には甲府の柳小路、連雀町、三日市、八日市などの町々で噂となってひろがった。
 家康が勝頼の行動をいちはやく偵知し、敏速な対応ができるのは、武田の軍機が洩れつづけているためであった。家康は常に北条氏政と連絡をとりあい、東西から勝頼を牽制する作戦をおこなった。
▲UP

■高天神城の落城

<本文から>
 二十二日の夜が、明けそめてきた。横須賀城にいて、終夜眠ることなく戦況の注進をうけていた家康のもとへ、高天神城武者奉行、孕石主水が曳かれてきた。
 主水は林ケ谷で数人の敵を斬り、自らも深手を負い、畚に入れられ担がれてきた。家康は 主水が捕虜になったと聞くと、近習に命じた。
「孕石がごとき者の、むさき顔は見たくもなし。あやつは昔より、儂に俺きはてしなれば、いまも用はなかろうだでなん」
 孕石主水は、家康が人質として今川義元のもとにいたとき、礼を失したふるまいが多く、今川滅亡ののちは武田信玄の先手となり、家康をしばしば苦しめてきた。
 彼は切腹を命ぜられると、平然として座につき、鎧直垂をくつろげ、短刀を手にする。介錯の侍がたしなめた。
 「御辺は、南向きにて腹を召さるるか」
 孕石主水は、血に汚れた顔を歓ばめ笑った。介錯の者がたずねた。
 「なにをお笑い召さるるかや。御辺は今川に仕えしときも、武田が先方衆となられしときも、勇士の名は諸国に聞えしお方ではござらぬか。それが、いま腹を召さるるにあたって南に向わるるは、何事にござろうや。切腹の作法をご存知なされぬわけもなし、いよいよ土壇場にのぞみて狼狽なされしか。人は切腹いたすとき、いずれも西方を向かるるものを」
 主水は、おちついた声音で答えた。
「そのほうどもこそ、事をわきまえぬ痴れ者だぞ。仏は西にばかりおわすのではないわ。十方仏土中、唯有一乗法、無二又無三、除仏方便説と申す仏説を、聞かせてやるとも分るまいが、極楽は西方ばかりにあるのではなし。十方は仏土じゃ。愚か者が、さかしらなる口をきくではないぞ」
 主水の従容とした様子に感動した、弓削田六左衛門という侍が、妄言を吐いた侍にかわって介錯をした。
 主水は雛腹を揉み、六左衛門にいう。
「拙者は、扇腹はいたさぬゆえ、左より右へ切りまわせしを見届けしうえにて、介錯をお頼み申す」
 扇腹とは、切腹の苦痛を免れるため、扇子で腹を切るまねをして介錯をうけることである。
 主水は左腹に短刀を深く突きたて、右へ引きまわし、腸が腹庄で露出してはじめて頼んだ。
 「介錯をお頼の申す」
 徳川勢は、二十三日の朝までに、城方の首級七百余をあげた。
▲UP

■家康を襲ったうのの最後の復讐

<本文から>
 うのは地面を這い、本丸千畳敷に近づいてゆく。哨兵が前後左右に立ち、鳴子縄が張りめぐらされているが、夜目のきくうのは、巧みにくぐり抜けてゆく。
 千畳敷の東方には、段状に四つの曲輪がつらなっている。うのは曲輪横手のほとんど垂直に切り立った斜面に、蜘妹のようにとりつく。
 彼女は絶壁を登るとき、長かすがいを用いた。長さ一尺二寸、爪が三寸の「長がい」と呼ばれるものである。
 帯曲輪の間近をよじ登るとき、城兵の話し声が聞こえる。うのは猫のように物音を立てず移動する。
 千畳敷の土居に登ったうのは、わが気配を消す隠身の術を用い、家康のいる主殿に近づいていった。彼女の行手には、伊賀の忍びが数十人も警固の持場についている。
 −しょんねえさ、どうせ見つかっちまうなら、突っ走らざあ−
 間中に隠れていたうのは、忍者に発見されるのを覚悟のうえで、走りだした。たちまち八方から人影が集まってくる。
 うのは風のように足りながら、主殿の壁際にとりつき、油壷に浸していた手帯で、軒下を撫で、肩にか竹た輪火縄の火を移す。
 彼女は伊賀者たちの追跡をかわし、走って土居に飛び移り、椋の大樹に猿のように登ってゆく。
 手裏剣、矢が身辺に唸りをたてて飛んでくるが、夢中で動いてゆく。西風をうけた主殿の火はたちまち燃えあがった。
 −出たぞ、家康だ−
 うのは樹上で眼を見張った。家康が焔を逃れ数人の伊賀者に囲まれ、縁先に出てきた。
 うのの足もとに伊賀者が迫っている。彼女は家康をめがけ、胞熔火矢を投げた。火柱のなかで、のけぞる家康を見たうのは、これで死んでもいいと思った。
 彼女の胸に電撃のような痔きが走った。手さぐりで手裏剣が突き立ったのを知ると、引き抜く。血が脈うち流れ出るのを感じつつ、胞格火矢を二個つづけざまに投げ、樹上から飛び下り、土居下の溝を走り抜け、崖際まで出たとき、うのの意識はとぎれた。
 うののあとを追う伊賀者たちが、崖際に迫ってきた。
 「あやつは、ここから下りたにちがいない」
 彼らは四つ手釣を立木の幹にひっかけ、絢縄を伝いすばやく絶壁を伝い下りてゆく。立木の幹に身を寄せた伊賀組小頭が、崖下をするどい眼差しで見渡す。
 小頭が立っているのは、うのが倒れていた場所であったが、彼女の姿はその辺りになかった。千畳敷北側の険しい山腹の闇のなかで、ひそかに動く者がいる。
▲UP

メニューへ


トップページへ