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<本文から> 武田勢は、塩男坂本陣からなだれるように迫ってくると、突撃せず静かに押し寄せてきた。
小笠原右京は、旗差物を薄のようになびかせ、野を埋めて近づく武田勢を前にして、三度輪乗りをしたのち、味方に告げた。
「化粧戦の繰り引きというは、このことぞ。いまここにて強みをあらわし戦ったなら、二万を超える敵の大軍に、城へつけ入られるずら。いまただちに、手早く引き揚げざあ」
右京は退却の途中、城方の若侍たちが山蔭の切所に折り敷き、槍衾を立て、左右の高所に弓、鉄砲衆をひそませ、武田勢を追いはらおうとしているのを見て、怒って采配を振った。
「なにをしているんだ。ここは手早く引きとるが手柄だに」
古参の侍たちも、声を嗄らして味方に退却を促した。
武田先手の将、内藤昌豊は、小笠原勢の進退の巧みさを褒めた。
「あの采配は、敵ながら天晴だらず。われらが手のうちを読みとりしか」
甲州勢の三段備えは、頭を打つときは尾が後ろへまわり敵の退路を断つ。尾を打つときは頭が噛みついてくる。
中段を打てば先手は後ろへまわり、後備えは敵を横撃する。このため、兵力に劣る敵が誘いこまれたときは、蜘蛛の巣にかかった羽虫のように、動きのとれないまま武田勢の好餌となるしかない。
武田先手の部隊は、高天神城大手惣門の前に押し寄せ、鉄砲を放ち、三十匁玉筒で柵門を撃ち砕き、硝煙の静まらないうちに繰り引きの態勢をとり、引き揚げていった。
高天神城の士卒は、険しい山肌の曲輪に布陣しているので、惣門の辺りに銑砲撃をうけても痛棒を覚えず、高所から遠矢を飛ばし、大筒を撃ちかけ、敵を悩ませた。
彼らは武田勢の旗差物が退いてゆくのを見ると、きおい立った。
「あれを見よ。甲斐の奴輩が退いていくぞ。俺たちの矢玉を受けて、城際に居らんねえから、逃げていくんだ。追いかけて、皆殺しにしてやらざあ」
若武者たちが柵をひらき、追撃しようと馬首をそろえたとき、本丸から城主長忠の使番が走ってきて、押しとどめた。
「塩買坂にいた武田の総軍勢が、坂を下って国安村まで、五十町ほどのあいだを、打ちつづいて屯しているんだ。いま先手の人数が逃げたからといって追いかけりや、武田は総攻めをしかけてきて、城に付け入られたらおしまいだ。まずは敵を見送り、引きとらせるがいいら」
城兵はやむなく動きをとどめ、内藤隊が整然と繰り引きをおこないつつ退却してゆくのを、見送った。
国安村に本陣を進めていた信玄は、城兵の手堅い守備を見て、褒めた。
「こなたより退いてやれば、押し出てあとを追いたきものずらい。それをせざりしは、与八郎もなかなかの器量者だらず」
小笠原長息は、城を包囲する武田勢と対時するうち、軍評定をした。諸将はさまざまの戦法を提案する。
「夜中に一手が瑞手口から萩原の峠を越、え、大谷口から大板村の西へ出て、浜松から徳川の後巻きの人数がきたように見せかけ、ときの声をあげる。また東からも一手を進め、掛川城からの援兵と見せかけ、夜討ちをかけりやあ、あやつらはうろたえるずら」
小笠原長忠は、城外へ兵を出し、鉄砲を撃ちかけ、伏兵を置き、武田勢にゲリラ攻撃をしかけようとした。
だが信玄は長期の攻囲をせず、まもなく内藤昌豊を高天神城の押えとして残し、本隊を引き揚げた。武田勢は掛川城、久野を包囲する態勢をあらわしたが、攻撃することなく、天竜川東岸沿いの道を北上した。
飯田、天方、秋葉山、光明山、只釆、鍵掛山の諸城に兵を入れた信玄は、信州伊奈に退去した。
信玄が高天神城攻略を断念したのは、険阻な山城に拠る小笠原勢に老練な武者が多く、無理に我責めをしかければ、甚大な損害をうけると判断したためである。 |
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