津本陽著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          天翔ける和冦(下)

■桃源郷を垣間見る

<本文から>
  亀若たちは思案する。
 「せっかくここまできたんやさけ、行てみまひょら」
 三人は、四つん這いにならねばならない狭い場所を幾度も通り抜け、半刻あまり歩いた。
 やがて行手に明りがみえてきた。
 「あそこが出口やな」
 どのような場所へ出るのであろうと、好奇心に押され、三人は足早に進んだ。
 穴の出口には、槍を持った男がいた。番人であろうが、木洩れ陽をうけ昼寝している。
 亀若たちは外をのぞいた。
 そこは三方を険しくそびえる山腹にかこまれ、南の方角だけがひらけたひろい草原であった。
 緑樹が茂り、牛馬が草を食んでいる。草葺きの民家がいくつも眼につき、清流には水車がかかっている。
 草地のなかに、巨大な六角の堂宇が見えた。
 屋根の勾配が急な、二階建てであった。二階の楼上には吊鐘がさがり、一階の広間には大勢の男女がいて、琵琶を弾く音がきこえてきた。
 笑い声、話し声も聞える。食物のにおいもただよっている。三人は息を呑んで、巨大な堂宇を眺めた。
 「若はん、あれはほ黄金づくりや。柱も壁も、屋根の瓦まで全部黄金やのし」
 亀若の耳もとで、次郎三郎がささやく。
 堂は初夏のさえわたる陽射しのなかで、まばゆくかがやいていた。
 「ここはお寺の坊んさんがいうてた桃源郷みたいな所やな。儂らはこのまま去のら」
 亀若は、緑殊に手真似でひきあげようといった。
 緑妹はうなずき、堂にむかい手をあわせ礼拝した。
 三人が酒亭にもどると、倭冠たちはにぎやかに酒を酌みかわしていた。金平が立ってきた。
 「おっ、若はんに次郎やんか。どこへいてきたのよし」
 「ちとこの辺りをば、見物してきたんよ」
 「見物てかえ、なんぞええ物あったかのし」
 「いや、何もなかったよ。ああ腹へった。飯でも食おかえ」
 「ここにゃ、ええ酒あるよし。酔うて寝なはれよし」
 寝台に腰をおろした亀若のそばへ、緑妹がきた。
 「何や」
 彼女はてのひらをひろげてみせた。
 親指と人差し指を輪にしたほどの大きさの金塊が、てのひらに乗っていた。
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■源次郎らは脱走して金山を目指す

<本文から>
  一源次郎は金貸しの穴蔵で発見した金の延棒には、五人の見張りを置き、分捕り品として顔副頭目に報告しなかった。
 彼は長蔵、亀若、次郎三郎、金平、千代楠、力之助らとともに、本営に呼ばれ、銀三千両の褒賞を受けた。
 顔思斎、毛海峰両副頭目は、源次郎の部隊の果敢な戦いぶりを、褒めたたえた。
 源次郎たちは、湖州城随一の酒亭に陣所をとることを許された。
 その夜、更けるまで若衆と大隅海賊たちは祝杯をかさねた。源次郎が王直倭冠二万の仲間から離脱し、まもなく金山をめざしての旅に出ようとしていることは、はやくも彼らのあいだに知れ渡っていた。
 源次郎は部下をあつめ、大事をうち協けたとき、皆が揃って脱走する意志をすでに定めていたので、拍子抜けさせられた。
「何じゃい、お前らは知ってたんかえ。はや皆いっしょに行ってくれるんやのう」
「いくれえ、儂らは怖ろしいものはないのじゃい。源次郎はん、金をば思いきり取ってきて、倭寇の名をばあげてやろらえ」
「よういうてくれた。皆の了簡がまとまってて、こげなうれしいことはないよ。はや、夜明けまえに出よら。いまから大筒をば砲車につけよ。弾丸箪笥の支度もせえ。兵粮の小荷駄に、酒瓶、水瓶も馬に積め」
 源次郎たちは暗闇のなかでかすかな燭台の灯を頼りに、脱走の支度をととのえ、夜気が一段と冷えこむ暁まえの刻限、湖州城を忍び出た。
 城壁に立つ不寝番の唐人兵から誰何されたが、葉白が城外の物見に出かけると巧みにだました。
 城門の外へ出ると、砲車のきしみ、挽馬の鼻息を気にすることもない。
「さあ急げ、明るうならんうちにできるだけ遠方へいかんならんぞ」
 若衆たちは鉄砲を背負い、腰に太刀と弾丸硝薬の袋を提げ、あえぎつつ道を急いだ。
 亀若は王緑妹を駄馬に乗せ、手綱をとって歩いていた。次郎三郎は、三十匁筒と他熔火矢の箱を積んだ馬をひいてあとにつづいた。
 足軽具足をつけ、大小を腰に帯びた緑妹は、乗馬の呼吸をおぼえ、長途の行軍にも疲労をたいして訴えないようになっていた。
 夜があけほなれる頃、源次郎たちは湖州城から五里ほどはなれた、青山という山岳地帯にさしかかっていた。
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■金山で撃退され潰滅状態になる

<本文から>
「蝉も睦もやられたか」
 亀若は嘆息した。
 「いや、まだ分らんで。そのうちに後を追うてくるかも分らんさけにのう」
 源次郎の声が高くなった。
 「葉自、葉白はいてへんのか。あやつの三人の仲間はどこじゃい」
 「いてへんぞ」
 「どこにも見当らんぞ」
 「なに、ほんまか。あやつがおらんようになったら、昌国衛へ去ぬ道も分らんようになるがよ。探せ。葉自らを探せ」
 通詞の役をつとめる葉自と三人の唐人は、呼んでもあらわれなかった。
 「仕方ない。またあやつの替りをば探そら。ほいて、昌国衛へ去ぬか、太湖を渡って無錫へ行た味方のあとを追うか、どっちぞに決めんならん」
 百八十人の味方は、六十一人に減っていた。
 五十七人が減っている。二貫匁玉筒一挺、一貫匁玉簡二挺を失い、鉄砲もわずかに二十数挺が残っているだけであった。煙硝、弾丸も乏しくなっている。
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■亀若たちは殲滅され一人も帰国しなかった

<本文から>
 亀若たちのその後の消息は、明史の「倭変事略」に記されている。
「彼らは太湖附近より無錫に至り、恵山に駐し、ついで一昼夜に百八十支里(三十里)を突破し、滸墅関に着いた。南直巡撫曹邦輔は、柘林の倭冠と合して大患となることをおそれ、沙兵の助けを得て斬首十九級を得た。ここにおいて倭ははじめて呉舎に逃げ、太湖に向わんとするを覚られ、楊林橋において残滅された。
 その倭は紹興、高埠から流劫して、百余人にして数千里を径行し、殺傷されたもの無慮四千余人、八十余日を経て、ほじめて殲滅されたのである」
 触角を失った蜂の群れのような若衆たちは、つい一人も故国に帰らなかった。
 亀若と王緑妹の行方も知れなかった。
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