司馬遼太郎著書
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          妖怪・下

■富子はお今の陰謀を暴くため源四郎を利用する

<本文から>
 富子は、男にうまれているべきであったであろう。
 −うまれそこねた。
 と、徽女はつねづね嬉野を相手にこぼしている。権謀の才というか。
 そういうものが、彼女の肚のなかにくろぐろと渦をまいている。才能というものはそれ自体がエネルギーなのであろう。それを表現し消費せずにねむらせておくと、やがては鬱屈するものであるらしい。唄をうたいたいものは、唄をうたえ。
 富子の方略は、こうであった。
 昨夜、義政が閨から去ったあと、富子は嬉野をよんでうちあわせておいた。
 女合戦そのものがめあてではない。
 と、富子はいうのである。そうであろう、お今の里屋敷の器物をうちこわして快をさけぶほど富子はこどもっぽくはない。鬼切りの太刀を奪うためである。
 しかしそれも、それそのものが目的ではない。源四郎を当方にひきずりこむことであった。あからさまにいえば、源四郎を捕縛することである。
 が、それそのものも、富子の目的ではなかった。源四郎など、捕えてそれっきりであれば、なんの変哲もない。
 別な、大構想に利用する。太刀と源四郎をである。
 「お今は、足利家を横領しようとしている」
という疑獄をつくりあげるのである。その証拠は、まず源四郎であった。かれは真偽はべつにせよ、足利六代将軍義教の落胤であると称している。足利家を相続する権利が自分にあると称しているらしい。
「お今はそれを利用しょうとしている」
 と、富子は言いふらすのだ。つまりお今は源四郎の養母になり(齢はさはどちがわないが)、いまの義政将軍に子がないのをさいわい、その後嗣たらしめ、後嗣の母ということで足利家で威権をふるおうとしているということを富子は作りあげる。お今にとって不利なことは、源四郎をひき入れていること、それに鬼切りの太刀を、巧言をもって義政からまきあげていること、この二つを動かぬ証拠にしてしまえば、「お今の陰謀」という真実性をうたがわなくなるであろう。
 と、富子は嬉野に自分の智恵を誇った。嬉野も、おどろいた。
「なんというお智恵のふかさでございましょう」
「だから、まず手はじめが女合戦なのです」
 そのうわなりうちの総指揮は嬉野がとれ、と富子は命じた。
 女ばかりでゆく。
 男をまじえては、慣習上、世間のつまはじきをうけるから、入れない。ただ念閑だけは入れる。念閑は僧形である。僧形は男にあらず女にあらずといわれているから、たれも非難せぬであろう。
 その念閑にあたえる役目は、源四郎おびきだしの役目であった。しかるべき所までつれてくれば、あらかじめ伏せてある侍所の人数をしてからめとらせてしまう。
 とにかく、念閑を説得してその役目をひきうけさせねばならない。
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■唐子天が源四郎にのりうつり富子に会う

<本文から>
 「富子に会えるのか」
 と、源四郎がいうと、唐天子は耳もとでささやいた。
 わしの言うとおりにすれば。
 という。古来、こういう言葉は魔性をふくんだ言葉なのであろう。「それも造作はかけぬ。ただほんのすこし、目をつぶるだけでいいのだ」と、唐天子は言葉優しくいうのである。
 「ほんのすこし?」
 「そう、目をつぶるだけで」
 なるほど、源四郎がやるべき動作は目をつぶるだけであった。しかし目をつぶることが唐子天に魂を売り渡してしまうことになるとは、源四郎はついぞ思わず、
 「こうか」
 と、路傍に腰をおろし、目をつぶった。
 「わしがゆるすまで目をひらいてはならない」
 と、そう言った唐天子の声はもはやあぶの羽音ではなく、堂々とした人間の声にもどっており、声だけでなく姿も人間にもどり、源四郎の面前に立っていた。
 「まだ、だめだな。目をつぶっていない」
 「つぶっている」
 「いや、まぶたに心が露われている」
 と、唐天子は手をのばし、源四郎のまぶたにかるく指で触れ、指の腹でその「露われている心」というものを奥へ押しこめようとするようにほたほたとたたいた。
 −ああ、心地よい。
 と源四郎がおもったとき、その魂は体からぬけ出て唐天子の掌につかまれていた。
 あと、眠ったか。
 源四郎には、記憶がない。かれの知覚が再開したのは、
 −もう、まぶたをあげてよかろう。
 と唐天子らしい声が耳の穴のなかできこえたときであった。
 源四郎は、目をひらいた。そのあたりに屏風があり、近江八景がえがかれている。
 富子が、すわっていた。
 「ここは、どこだ」
 源四郎がおどろきを失った表情でいうと、富子もおなじような表情で、
 「私の部屋」
 と、光沢の消えた声でいった。死人がもし声を出すとすればおそらくこういう声であろうと思われるほどに弾みのない声であった。富子も唐天子の幻術にかかっているのであろう。
 「源四郎じゃな。おぼえている」
 「左様、私は源四郎」
 と、痴呆のように源四郎はうなずいた。
 「お今を殺せ」
 と、富子は、いった。源四郎は素直にうなずいたが、しかしお今は琵琶湖のなかの沖ノ島というところにいるというではないか。
 「いや」
と富子はいった。
 「沖ノ島など、行くのに造作はない。源四郎の目の前に屏風があるであろう。琵琶湖の八景がえがかれている。風が立っている」
 なるはど風が立ち、湖上に波が走りはじめている。波が、北から南へ。
 舟が、ゆれた。
 源四郎は、一般の小舟に乗って沖をめざして進んでゆく。ろの音がする。ろの漕ぎ手がたれであるか隙くてわからないが、とにかくも舟が沖ノ島をめざしていることだけはたしかであった。
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■唐子天に騙された源四郎は1年も北小路殿へ向か続ける

<本文から>
 (===?)
 と思い、その頭蓋骨をとりのけてみると、なんとそのあとの地面に都の全景が現出したのである。小さい。碁盤ほどのひろさがあるかどうか。
 東山もあおあおと北から南に隆起していたし、鴨川も流れている。大路小路もあり、大路をゆく車や騎馬の者も見えるし、市では人だかりもしている。
 −源四郎。
 と、腹大夫がおもわず叫んだその場所に、源四郎はすわっていた。場所は千本のあたりであろうか、源四郎は釈迦堂らしいお堂の縁にすわっているのである。
 腹大夫は、飛びあがった。夢中で堤の上にあがり、あとは古故に駈けた。西へ。
 千本へ。
 と、腹大夫は駈けた。公家館の塀わきを駈け、薮道を駈け、ついに千本釈迦堂までゆくと、そこに先刻みたのとおなじ姿勢で源四郎はすわっていた。
「源四郎。−」
 と、腹大夫はどなりつけた。
「どうしたのだ」
「どうもせぬ」
 と、源四郎は、目を中空に漂せたまま答えた。腹大夫は、たじろいだ。「−いったいおぬしは」と、腹大夫は機嫌をとるような口ぶりでいった。「ここでなにをしているのだ。…」
「休息している」
「して、どこへゆく」
「北小路殿へ」
 源四郎は、ゆっくり答えた。腹大夫は息をのんだ。1年あまりのあいだ、この男は北小路殿へゆくべく都のうちをぐるぐるまわっていたのか。
 腹大夫は、さらに優しくいった。
「ゆくといって、一人でかね」
「見てのとおりだ、お供でゆく。わしは御太刀持ちだ」
 なるほど、竹ざおを一本、左胸に接するがごとくして捧持している。
「どこに他のお供がいる。いやさ、主人はどこにおわすのか」
「あれにだ」
と、源四郎が指さしたのは、境内の鬼門の方角のおうちの樹であった。
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