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<本文から>
(本当に腹大夫はやる気か)
源四郎は、半信半疑だった。あの男は酔ったいきおいであのように気炎をあげていたが、神仏や物怪に挑戦できるような勇気はあるまい。
(あるとすれば、馬鹿だ)
と、源四郎はおもった。天子も将軍もかなわぬものが神仏や生霊死霊の崇りであり、妖怪であり、それを怖れるというのが人間の可憐さなのである。神仏や霊異を怖れぬようになれば人間はどうなるのであろう。ことごとくの人間が悪のかぎりをつくし、強者は弱者を食み、この地上で貞女はひとりもいなくなり、まじめに稼業にいそしむ男はいなくなり、みな互いに殺しあって他人の物をとろうとするであろう。それをせぬのは人間が地獄を怖れるからであり、人間が神罰、仏罰をおそれるからである。
腹大夫はちがうらしい。
−人間こそえらいのだ。
ということを打ちたてねば、この男は、堕地獄の人殺しである足軽や、地獄必定の猟師などの庇護者である印地の大将になれぬのであろう。印地の大将という稼業がら、ああいう空威張りの付け元気でさんざんばら神仏をこきおろしたのであろう。
が、日が暮れて、
(えっ)
とおもった。腹大夫がやってきて、
「さあ、行こう」
あごで源四郎をせきたて、ゆらりと外へ出たのである。 |
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