司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          吉田松陰を語る

■思想家松陰は純粋で純真

<本文から>
 司馬 思想的人間における気質としての器ということで松陰を考えてみると、この人は思想家の中ではもっとも根源的な存在じゃないか、思想家以外になりようがない人だという感じがします。私は、松陰を子どもの時からあまり好きでなく、大人になってふと興味を持った時に、こんな純粋で純真な人がいたかと驚いたわけです。ちょうど因幡の白兎が毛をむかれて、赤裸になって、そよ風に当っても肌や骨が痛むという具合でいる人が松陰なんじやないか。思想家としての松陰の器を、ガラスの券にたとえると、ガラスの器は非常に薄くて、今にもこわれるんじゃないかというような感じがあるんですが、思想を盛上げる器、もしくは思想を湧き出させる器というのが人間にあって、私はそういう気質をほとんど持っていないんですけれど、そういう気質を持ってきた人ということで、日本の思想史を考えることができる。 

■松陰は優しさから分かり易い文を書く

<本文から>
われわれの文章は明晰で、人にわかりやすく書かなければならないのに、それはひとつの心得として持っているにすぎない。松陰の場合、彼らにわかるように書くのは、必要があってそうしていたわけです。それは功利的に成立していたのではなく、優しさから成立しているわけです。この少年にはこういう書き方で訴えたい。だから優しく自分の心におおい隠すところがなくて、全部さらけ出して、なおかつ少年の心にまで踏み込んで、文章をかゆいところまで行届かせるということになって、松陰には巧まずしてああいう文章日本語が成立してしまったのだと思います。
 橋川 そういう具体的な要件がないと、いくら天才でもちゆうではああいう文章は作れないわけでしょう。
 司馬 なにしろ松下村塾というとかっこうよく聞えますけれども、本質的にはただの寺小屋でしょう。初めて千字文の修業をしたり、簡単な漢文の読み方を教わったりしに来る少年達を教える初等教育の場ですから、松陰としては自分が持っている教養やボキャブラリトでは話ができないというところがありましたでしょう。

■江戸末期に人民のことを考える思想がでてくる

<本文から>
司馬 いずれにしても、松陰が生きた歴史的段階では、人民というフィクションを据えて、思想形成をするということは、事実上不可能だったと思います。江戸幕藩体制における人民というのは、さっき使った言葉をもう一度使えば、公約数であって、具体的に人民というのはどうかという形では出てきにくいし、後世の歴史が考えているほどに江戸庶民というのは苦しくなかったと思うんです。そして士大夫が人民のことを考え、国家を担うべきであるという考えが、江戸未期にははっきりとあるわけです。歴史を考える上で、天皇というフィクションを一つ強烈に作り上げれば、人民のこともはっきりする。天皇を据えなければ人民のことははっきりしない。簡単な図式でいいますと、天皇を捉えることによって、人民が平等になるんであって、将軍も熊公も同じなんだということがやっと言えるし、考えられるんであって、この場合、天皇というフィクションをわれわれは高く評価しなければいけないと思うんです。後世の対天皇感覚で、つまり後世の生臭さで感じちゃいけないと思う。私は歴史的法則で物を見るというのは苦手な方ですし、松陰における天皇の問題については非常に無感動にそれを受け止める方なんですけれども。もう1つ、ことわるまでもありませんが、私は明治以後の天皇制を好みません。

■松陰像が国家体制に吸収された

<本文から>
橋川 大まかに言って、明治初期の松陰像は蘇峰を含めてまさに革命家松陰ですね。ところが明治国家が安定期に入ると、革命の要素は後退し、いわゆる勤皇史観に基づく維新精神の化身ということになり、あるいは純粋な誠意によって人を動かした殉国の教育者という形になって、いずれも国家体制の中に安全に吸収されてしまう。して最後には単なる誠心誠意の人物という無内容な模範として教科書に封じこめられる。
 つまり松陰像というものは、革命という本質が空虚になるにしたがって、もはや復原が不可能なほどに曖昧化してしまったのではないか。もとはかなりハッキリしていたのが、今になって原松陰像というものを掘り出すことには、かなり困難がともなうほどになっているんじゃないか。だからわれわれが具体的に松陰像をつくり上げようとする時にも、いろんな点で行詰ったり、矛盾したりすることになるんだと思うんです。
松本 人間そのものとしては、松陰はたえず思い起こされるような契機を持っていますけれど、松陰という人間に付着した思想ということになると、一言では整理しきれない複雑なものがある。つまり、松陰の思想というのは、その生涯をとってみても時期的に推移ないしは転換を経ているように思いますし、思想内容から言っても、多くの矛盾を含んだ思想家だと思います。
 『諌孟余話』の評価にしても、結論的にいえば、明治以降の天皇制国家の重要なイデオロギー的支柱になるような側面と、諌争諌死の精神などに表われているような主体的実践者の自立精神、つまり伝統的な思想状況の中から、近代的個人の主体的精神に代りうるものとして注目される側面と、両方の面を指摘できると思います。

メニューへ


トップページへ