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<本文から>
竜馬は、政治家の目になっていた。この瞬間から、竜馬の胸にある種の色合を帯びた情熱の火が燃えあがった。その情熱は、船きちがいといわれたいままでの情熱とは、まるでちがう場所から燃えているようであった。
「長州は」
と、西郷は返答をくらました.
「外面は恭順、しかし内面ではなかなれしぶとくいくさ支度をしているようでごわすな」
「負けるでしょう」
と、竜馬はいった。いかに長州が内々戦さ支度をしていても、幕府の再度の攻撃をうければ負ける、という意味である。
「しかしながら、匹夫もその志を奪うベからず、ということがある。なんど長州はたたきつけられても長州人は立ちあがる。毛利家がつぶれても、一人の長州人が残っているかぎり、かれらは棒ぎれをひろってでも立ちあがる。もし戦国のむかしならば」
と竜馬はいう。
「長洲人はあっさり降伏するだろう。主家さえ温存されればそれでいい、と思い、かれ
っは鉾をおさめる。しかし長州人は、いや長州人だけではない!われわれ有志(志士)も戦国の武士ではない。戦国の武士には、日本をどうこうするというそういうココロザシはなかった。いまの有志にはある。長州人には濃厚にそれがある」
竜馬のいうココロザシというのは、思想とか主義とかいう意味である。
「戦国の武士には」
竜馬はいった。
「おのれの男を立てることとおのれの功名を立てることしかなかった。くだって徳川氏全盛の世の武士は主君と藩への忠義しかない」
「ほ、ほ、…」
西郷は日を見はった。この竜馬という男がこんなに議論するとはおもわなかったのである。
「いまはちがう。有志はそのココロザシに殉ずる時勢になっている。わしども土佐人を見なされ、すでに殿様を見かぎって自分のココロザシに殉ずるために天下へ出た。長州人たちも同然だ。脳中、毛利家はあるまい。日本と天朝のみがある。いま幕府がかれらを再征するとせよ。なるほど毛利家はつぶれるかもしれぬが、多数の長州人は天下に四散し、あくなく活躍するだろう。薩摩はそれをしも、討つか。日本は混乱し、血と泥の国土になるにちがいない」 |
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