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<本文から>
竜馬は脱藩した。
というより自動的に脱藩の身になった、というべきか。藩の帰国命令に従わなかったからである。
竜馬だけではない。かれの神戸塾の塾生のうち、土佐藩士にはことごとく召喚命令が出ていたのだが、みな拒否した。
「藩などは考えるな」
という、武市とはまるでちがった竜馬の政治感覚に従ったわけである。そのためかれらは全員脱藩の身となった。
つまり、亡命客である。当然、国事犯だから藩から、偵吏、輔吏がさしむけられる。
国もとでは容堂が、
「竜馬という男にわしは謁見をゆるしたことはないが、あの男は以前にも脱藩したことがある。その脱藩の罪を、勝海舟や松平春獄のとりなしでわしはゆるしてやった。それを恩にも思わず、またまた主命にさからい、脱藩しおったか」
と、激怒した。
大殿様の怒りが神戸塾の竜馬に伝わってきたが、竜馬はせせらわらった。
「小僧になにがわかるか」
と、竜馬はほざいた。武市にとっては「譜代重恩の主君」というおごそかな存在の容堂も、竜馬のロにかかっては、小僧である。
もっとも、年齢ではない。としは、容堂のほうがはるかに上で、竜馬こそ小僧である。
小監察がきた夜、竜馬はひそかに手帖に手きびしい文字を書いた。賢君を擬装した稀代の暗君容堂へのはげしい反感がかかせたものであろう。
「世に生きものというものは、人間も犬も虫もみなおなじ衆生で、上下などはない」
(原文は文語)
竜馬も、忠義だけを教えられて育った封建時代の武士である。そういう感情を押しころしてこんな激越な文字をつづるというのは、国もとの勤王党大獄が、よほどこの男に衝撃をあたえたのであろう。
さらに竜馬は、書きつづける。
「本朝(日本)の国風、天子を除くほかは、将軍といい、大名といい、家老というも、みなその時代その時代の名目にすぎぬ。物の数ともなすなかれ」
さらに竜馬は書いた。
「俸禄などというのは鳥に与える封のようなものだ。天道(自然)は、人を作った。しかも食いものも作ってくれた。鳥のように鳥籠にかわれて俸禄という名の封をあたえられるだけが人間ではない。米のめしなどは、どこへ行ってもついてまわる。されば、俸禄などれが心に叶わねば破れたる草鞋を捨つるがごとくせよ」
脱藩なにものぞ、という気嗅が、乙女姉さんに教えられたその奇妙な書のなかにおどっている。 |
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