司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          竜馬がゆく3

■武市半平太のやり方は砂上の楼閣と不安がる

<本文から>
  武市半平太黒幕の革新内閣が、まがりなりにもできあがっていた。
 「竜馬ァ、早まりやがった」
 あまり愚痴をいわぬ男だが、こと竜馬の話になると、その脱藩を惜トんだ。
 しかし竜馬ほ、武市の成功のうわさを、海をへだてた上方の地できいて、
 −砂上の楼閣さ。
と逆に不安がった。
 武市は観念論者である。竜馬は実際主義者であった。土佐一国を武力で鎮圧するほどの実力を武市がもっていないかぎり、その革新内閣はついに砂上の楼閣だろう。
 −武市のやることも実がないよ、清河とおなじで。
 瀬戸内海で私設艦隊をつくりあげて、その武力をもって世直しをやってやろうと考えている竜馬は、策だけの行きかたというものがどうも食い足りない。
 参政青田東洋を暗殺して以来、土佐藩の人事は、武市の工作どおりになった。閣員の八割は、政局を安定させるために門閥守旧家を参加させたが、かれらは、凡庸暗愚で、二割の勤王派重役に鼻づらをとられて引きまわされるだけになろう、というのが武市の見通しであった。しかもそのとおりになった。
 もっとも、武市自身は、郷土出身のかなしさ、要職にはついていない。わずかに白札の小頭、つまり准士官の世話役、といった程度の卑職についたにすぎない。しかし隠然たる黒幕で、かれが内閣をあやつっていた。
 −薩長に遅れるな。
というのが、武市らの合言葉であった。

■士農工商のない世の中にしたい

<本文から>
「勝なんぞ殺すよりも、人おのおのが志を遂げられる世の中にしたいものだなあ」
「ふむ?」
単純な撲夷論者である千葉重太郎にはわからない。
 ぼんやり立っている。
「重さん。おれは、故郷で河田小竜という物識りの絵かきから聞いたのじゃが、アメリカでは、木こりの子でも大統領になれるし、大統領の子でも、本人が好きなら、仕立屋になっても、たれも怪しまれないぬというぞ」
「それがどうした」
 重さんは不機嫌だ。
「どうもせぬ。士農工商のない世の中にしたい、とふと思うただけじゃ。武士と武士といっても、色わけが百とおりほどある。その色分けの中から出ることができぬ。それはなぜか。将軍一人の身分をまもるために、日本では、三千万人の人間の身分をしばっちよる」
「竜さん、声が大きい」
操練所構内を巡察している訓練生らしい数人が、むこうからやってきた。
「重さん、おれは、天子様のもとに万人が平等の世の中にしてみせるぞ」
「竜さん」
「なあに、おれにこの軍艦三艘もあたえてみろ、三百年、日本人を縛りあげてきた徳川家をぶっつぶしてやる」
「竜さん、なにをいう。将軍、大名あってこその日本だ」
「あっははは、おれにこの軍艦三艘をあたえれば、大名などはけしとんでしまうわい」
「竜さん、今日は帰ろう。あんたはどうかしている」

■宗教的攘夷論者の怖さ、竜馬たちは宗教色をもたない

<本文から>
 この神国思想は、明治になってからもなお脈々と生きつづけて熊本で神風連の騒ぎをおこし、国定国史教科書の史観となり、昭和右翼や、陸軍正規将校の精神的支柱となり、おびただしい盲信者を生んだ。
 たしかにこの宗教約捷夷論は幕末を動かしたエネルギーではあったが、しかし、ここに奇妙なことがある。
 攘夷論者のなかには、そういう寮教色をもたない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵(刺通)、西郷吉之助、そして坂本竜馬である。
 宗教的攘夷論者は、桜田門外で井伊大老を殺すなど、維新のエネルギーにはなったが、維新政権はついにかれらの手ににぎることはできなかった。
 しかしその狂信駒な流れは昭和になって、昭和維新を信ずる妄想グループにひきつがれ、ついに大東亜戦争をひきおこして、国を惨澹たる荒廃におとし入れた。
 余談から余談につづくが、大東亜戦争は世界史最大の怪事件であろう。常識で考えても敗北とわかっているこの戦さを、なぜ陸軍軍閥はおこしたか。それは、未開、盲信、土臭のつよいこの宗教的攘夷思想が、維新の指導的志士にはねのけられたため、昭和になって無智な軍人の頭脳のなかで息をふきかえし、それがおどろくべきことに「革命思想」の皮をかぶって軍部をうごかし、ついに数百万の国民を死に追いやった。
 昭和の政治史は、幕末史よりもはるかに愚劣で、蒙昧で演ったといえる。

■勝海舟に出会って基礎が確立した

<本文から>
 この時期。
 竜馬の人生への基礎は確立した。勝に会ったことが、竜馬の、竜馬としての生涯の階段を、一段だけ、踏みあがらせた。
(人の一生には、命題あるべきものだ。おれはどうやらおれの命題のなかへ、哀しだけ踏み入れたらしい)
 このとし、竜馬二十八歳。
まったく晩熟である。すでに、のちのち竜馬とともに推新成立に活躍する長州の久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、薩摩の西郷吉之助、大久保一蔵などは、それぞれの藩の立場から「国事」に奔走しているのに、竜馬は、
 「一歩」
のぼっただけである。しかも倒幕志士であるはずの竜馬が、幕臣の勝海舟に見出されたというえたいの知れぬ「一歩」を。

■人斬り以蔵に勝の護衛を頼む

<本文から>
人斬り以蔵といえば、薩摩藩の田中新兵衛とともに、京洛を戦慄させている暗殺の名人である。
「尽忠報国あるのみです」
「結構なことだ」
 竜馬はうなずいた。以蔵の単純な頭脳では、人を殺すことだけが、国家統一への道だとおもっているらしい。
 「ところで以蔵」
 「はい」
 「もうすぐ、日本でもっともえらい人が、京都に入る。おンし、護衛してくれんか」。
 「どなたです」
 「幕府の軍艦奉行並勝麟太郎先生だ」
 「あっ、奸賊ではありませんか」
 「殺すつもりでいたのか」
 「そうです」
 「それを護衛しろ」
 竜馬は、以蔵の頭でもわかるようにじゅんじゅんと説ききかせ、
「理屈はそれだけだ。とにかくこの竜馬を信ずるならば、竜馬が信ずる勝先生を護衛もうしあげろ。以蔵、頼んだぞ」
 竜馬は、高瀬川の夜雨をみつめている。
 「頼むぞ」
 と竜馬にいわれて以来、人斬り以蔵はこの男なりになやんだ。
悩むのは当然であろう。開国論者の勝海舟は、捷夷論者の武市半平太からみれば「大奸賊」である。
(それを護衛しろと坂本さんはいう。師である武市先生にそむけ、というのとおなじではないか)
 とおもうのである。思いながらも、実のところ、以蔵のような無学者にとっては、師匠の武市半平太はちかづきにくい存在であった。
 それよりも、以蔵は、師匠の友人の竜馬のほうが、親しみがもてる。もてるどころ、かつて大坂高麗橋で竜馬から受けた大恩はわすれがたい。
 (そのくせ、あのひとは恩人づらをしなさらん)
 それがうれしい。

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