司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          竜馬がゆく1

■竜馬のなかには観音像、乙女姉さんがいる

<本文から>
 「つまり、竜馬のなかには、なにかしら光り輝ける者が住んでいる。それは観音像といってもいい。どういうわけか、その者は女性の容姿をもっている。
 この輝ける者は、生れつき竜馬のなかに入っていたにちがいないが、それを彫琢し、眼鼻をつけ、衣裳のひだをつけ、手足の爪までほりきざんだ者は、竜馬のたった一人の教師である乙女姉さんだった。だから、彼女がきざんだ像は、女性像になってしまったのかもしれない。
 これが、竜馬の監視をするのである。女性の眼で、監視をするのだ。いい男になれ、と。ときには竜馬に意地のわるい眼つきをし、ときにはひどく寛容な眼で微笑してくれる。ところが竜馬はこの女性像に惚れこんでいるから、頭をかかえて服従せぎるをえない。
 ところが、である。
 こまったことがある。
 この観音像の顔が、ときによってかわることだ。原則としては観音さまなのだが、そのときが一番多いのだが、ときには福岡のお田鶴さまに似ていたりする。お田鶴さまだけではない。
 まったく困りはてたことに、いまのところこの千葉家のさな子にも、すこし似ているのである。竜馬の、
 (こまった)
  は、それであった。
 竜馬を監視している観音像が〔さな子という生き身の姿をとって意地わるをしているのだから、手におえるはずがないヒ 

■竜馬式の武士道をもって自分の行動の規準とした

<本文から>
(やるとなれば、断固とやるのだ)
 それが悪事であっても、劣情を満足させるだけのことであっても、やる。武士とはそういうものだ、と、竜馬は、すこし身勝手な武士道だが、自分だけに適用する武士道をもっていた。
 竜馬は、天性、既成の道徳を受けつけにくいたちで、後年、かれのなかに凝然としてつくりあげた竜馬式の武士道をもって自分の行動の規準とした。もっともそういう自己流の道徳で動かねば、乱世とい−つものは生きぬけな心ったであろう。表面、この男は終始、無邪気そうににこにこしているが、これがこののち数年して天下の風雲のなかに乗りだしたとき、
−人に会ふとき、もし臆するならば、その相手が夫人とふざけるさまは如何ならん
と思へ。たいていの相手は論ずるに足らぬやうに見ゆるものなり。
−義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるものなり。
−恥といふことを打ち捨てて世のことは成る可し。竜馬語録

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