司馬遼太郎著書
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          歴史の交差路にて

■朝鮮は外圧で苦しんだが内部闘争は少ない

<本文から>
金:古代から歴史的にみると、朝鮮は中国と日本とにはさまれて今までずいぶんとひどいめにあってきたのですが、今日はその日・中の両碩学にはさまれて、ぼくはひどいめにあうんじゃないかと覚悟してきたんです(笑)。
司馬:なにがセキガク(笑)。作家としての先輩であられる金達寿氏がおっしゃるように、朝鮮は確かに外圧でひどいめにあった歴史をもちつづけてきました。しかし、朝鮮民族というのはしっかりしていて、国の内部の混乱による人民の被害となると、つまり内国の歴史では 中国や日本の人びとのはうがずっとひどいものでした。その点のみからいえば、朝鮮人のほうがお坊ちゃんで、中国・日本のほうは、よく言えば歴史的な鍛練を受けていて、悪く言えばすれっからしです。朝鮮のほうがどちらかというと、内部が空っぽになるほどのひどい内部闘争はなくてすんだんじゃないか。外圧は、まことに申し訳ないことでしたが(笑) 
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■ジンギスカンのときは文字が必要なかった

<本文から>
金:ジンギスカンは、字が読めなかったのですか。
司馬:読む必要ないんだから(笑)。ジンギスカンの時代の帝国組織というのは、駅伝と暗詞でできていたわけですよ。アジアからヨーロッパまで駅伝組織はすごいものですね。
陳:駅伝を置くということが服従のしるしなんですよ。朝鮮にも駅伝を置いた。
司馬:駅伝を置くということは、支配されたということです。それ以上のことはしない場合もある。税金を取り立てられないやせた土地では、駅伝を置くだけです。駅伝を置きますと、そこでは馬をちゃんと自前で飼っとかなければいけない。使者がはるかにやってきて、馬を替えていきますからね。走っている使者は文書を持っているのではなく、伝言を暗諭しているわけですから、そんなに文字が必要なかった。元帝国は、文字を持ってはいるけれどもほとんど使っていない民族が、一大帝国を形成した最後の時代ですね。
金:信じられないような話ですね。
陳:ジンギスカンのときはウイグル文字から変化したモンゴル文字すらもなかったんですよ。モンゴル系最西のナイマン族が、ウイグル文字を自分たちの言語を表現するのに用いていた。こういう便利なものがあるということを知り、いいもの使っているなと気がついたんですが、ジンギスカン配下の部族には文字はなかったわけです。
金:モンゴル語のボキャブラリーはどのくらいあったんでしょう。
司馬:なにしろ十三世紀に″草原の大文字″といわれる『元朝秘史』をモンゴル語で成立させている言語世界ですから、日本における八世紀の『古事記』の和訓ぐらいのボキャブラリーはあるでしょう。『古事記』の和訓は、反逆のことを「礼無し」といい、復命したということを「かえりごとまをしき」などといいますが、そういう式の言葉じゃないですか。
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■旬奴はなぜ強かったのか

<本文から>
 旬奴はなぜ強かったのかといえば、一つはよその弓より矢が数メート〜遠くへ飛ぶような武器をもっていたからだと思います。彼らは接戦になっても矢を使うんです。中国の戦争のように、矛とかつるぎで戦うのではなくて、接戦になっても飛び道具で戦う。飛び道具は接戦以前のにらみあいのときにもすでに飛ばしていますね。
 遠くへ飛ばす弓はどんな弓かといいますと、動物の骨を薄くたんざく型に削っていきまして、それを動物の腱か何かでしばる。昔の列車の下に懸架バネというのがありますね?この懸架バネみたいなバネ状にしまして、しかも短いんです。日本の源平時代の弓は長いですが、あんな長弓じゃなくて、短弓です。しかし、強い弾性を持っていて、矢を遠くへ飛ばすことができる。先っちょに矢じりがついていますね。青桐か鋼を主とした合金です。
 では、漢の武帝がなんであんなに旬奴をやっつけたか。本来やっつけられるはずがないんですよ。内陸部の農家出身で、いやいやながら徴兵で取られてきた漢の兵士が、三歳のころから馬を乗り回している騎馬民族の兵士と戦争できるはずがない。ところが旬奴はもろくもやられていくでしょう。
 漢には審去病とか衛育とかいう名将がいた。確かに彼らは名将ですけれども、実は漢の武帝の兵隊はおそらく鉄の矢じりをつけていたんだと思いまサ。実証的ではありませんが。鉄の矢じりの効力というのは大きいですよ。たがねとかのみのようなものですからね。それを飛ばしたら、句奴の青銅のヒョロヒョロ矢が届く前に、漢の兵隊の矢じりはむこうの騎兵の胴体に打ち込んでしまう。それが大きかったんじゃないかと思います。
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