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<本文から>
坂本竜馬は維新史の奇蹟、といわれる。
たしかに、そうであったろう。同時代に活躍したいわゆる英雄、豪傑どもは、その時代的制約によって、いくらかの類型にわけることができる。型やぶりといわれた長州の高杉晋作でさえ、それは性格であって、思想までは型破りではなかった。
竜馬だけが、型破りである。
この型は、幕末維新に生きた幾千人の志士たちのなかで、一人も類例をみない。日本史が坂本竜馬を持ったことは、それ自体が奇蹟であった。なぜなら、天がこの奇蹟的人物を恵まなかったならば、歴史はあるいは変っていたのではないか。
私は、年少のころからそういうことを考えていた。新聞記者のころ、すこしずつ資料をあつめはじめた。
「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟がいった。
むろん、歴史とはそんなものではない。竜馬ひとりでやれるはずがないのだが、竜馬がいなかったら、事態の模様はちがったものになっていたろう。
その竜馬のもっているどの部分が、それをやったのか。
また、一人の人間のもっている魅力が、歴史にどのように参加してゆくものか。
さらに、そういう竜馬の人間像が、どのようにしてできあがってゆき、まわりのひとはそれをどのようにみたか。
そういうことに興味をもった。
いつか、それを小説に書こうとおもいつつ歳月をすごした。
やっと書きはじめたのは、昭和三十七年の初夏からである。私自身、そこで十余年をすごした新聞にかきはじめたことは、偶然なことながら、一種の感慨がある。
私ごとき者の小説が、これほど読まれたことは、かつてない。いまなお、書いている。この物語が終了するには、あと二年余を要するであろう。
出不精な私にしては、竜馬像を足で確かめてみたいと思い、できるだけ歩いた。
多くのひとから、教示も得た。
この取材旅行中、私は、さまざまの幸運にめぐりあった。
竜馬が千葉家からもらった北辰一刀流の免許皆伝の伝書一巻を見ることができたのも、そのひとつである。
この伝書は、明治以後、縁族のあいだを転々としていたが、ついに大正の末年、その最後の所有者が渡米したために彼地に渡っていた。
この小説がはじまったころ、たまたまその所有者につながりのある婦人が帰日して、高知県庁をたずね、
「私どもには不要のものだから」
と、永久保管を託した。
県庁でべつな資料をみるために立ちよった私は、偶然それをみた。
奇縁におどろいた。
竜馬というひとは、年少のころから太平洋を越えてみたいと念願していた。その魂塊が、一巻の伝書に宿って海を渡ったのかとおもった。
いや、伝書などはいい。竜馬は、生きている。われわれの歴史のあるかぎり、竜馬は生きつつけるだろう。私はそれを感じている自分の気持を書く。冥利というべきである。 |
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