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<本文から> 以下のことは、私より年上の、親しい朝鮮人作家からきいたことの受け売りだが、氏のお祖母さんは寒い夜、まだ幼なかった孫の氏に、寝床のなかで、お伽ばなしや昔ばなしをきかせた。
彼女のレパートリーのなかに、「倭奴」とでも題すべきものがあった。
ウェノムはもと野蛮で、何も知らなかったという。食べ物など手でつかんで食べているから、それを哀れんで、韓人が箸というものを教えてやった。何もかも教えてやったところ、ウェノムもだんだん暮らしむきがよくなって、おれも儀礼が欲しい、と言ってきた。衣冠束帯を教えてくれというのだが、ウェノムごときにそんなものが、なんの必要があるものか、だからお前、葬式の衣装を教えてやったんだよ、ウェノムが儀式のときに着ているあれは、じつは葬式の衣装なんだよ、というのである。
あれというのは、お公家さんや神主さんなどが着る衣冠束帯のことで、明治の大官も、宮中の儀式などではこれを用いた。要するにこの衣装は、平安朝以来、日本においては神聖衣装であり、権威と権力の象徴なのである。
−あれはお前、韓人の葬服なんだよ。
というのは、残念ながら実証的ではない。
しかし実証なるものが小賢しくて興を醒ますほど、このお祖母さんの噺は、巨大な話語と皮肉のカタマリになっている。
この噺は他の朝鮮人からも聞いたことがあるから、このお祖母さんの創作でなく、ひろく朝鮮にゆきわたっていた伝説なのであろう。おりから日本が朝鮮を合併して朝鮮総督府という大権力が二千万の朝鮮人の上に君臨していた。そのとき、朝鮮半島の屋根という屋根の下で、それぞれの家の家刀自が、孫を寝かしつけつつ、この噺をしていたとすれば、民族的規模のユーモアといわねばならない。 |
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