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<本文から>
この、草原に発生した文明をおもうとき、こんにちの狭隘な国境概念で拘束されれば、風船がしぼむように想像が萎えてしまう。このことは地球規模でおもわざるをえない。たとえば天山の草原というのは、ユーラシア大陸の北に水をたたえている北極海から遠く、さらには、南の地中海、アラビア海、インド洋、太平洋などからも遠い。そのような南北のいずれの海から湧きあがる水蒸気のおこぼれを、この線の帯はわずかしか享受していないのである。
まったく享けることがなければ、沙漠になってしまう。
なにかの自然条件−たとえは天山山脈のような長大な壁−によって遠い海からの水蒸気をわずかに受けると、高嶺に雪が積もり、それがわずかずつ溶けて山麓や谷をうるおし、やがては固い地表の平坦地にまで草を生ぜしめる。といって、水分がわずかであるために森林を生ずるまでには至らない。
乾燥地帯ということでは、草原は沙漠と兄弟でもある。つねに沙漠と抱きあわせられるようにして存在し、歴史の長い周期のなかで、かつて草原であったところが沙漠になってしまったりする。草原に住む諸民族が、沙漠化する自然に追われて大移動することによって、歴史の動きを刺激し、ときに左右したことがしばしはあった.
「遊牧」
というのは、よく誤解されるように、古代的な未開の形態と考えるべきではない。すでに地球のあらゆる場所で農業が営まれていた歴史時代に、突如あらわれ出た新形式の暮らし方なのである。
それまで草原に人類は住んでいなかったであろう.
むしろ砂漠の縁辺のほうに、人は住んでいた。沙漠の縁辺のオアシスに住みついて水を得、農業を営んだ。中国新彊ウイグル自治区という日本列島の四倍もある広大な地を、ふつうわれわれはシルクロードとよぶ。その例でいえは、中央にあらゆる生物を拒絶するタクラマカソ大沙漠がある。その南の縁辺は足寄山脈などの雪どけ水が伏流水になったりして、ところどころにオアシスを現出している。シルクロ−ドの南道などは、一見、沙の色の地でありながら、オアシスが数珠玉のようにならび、そこで集業を営んできたひとたちが、古代オアシス国家のきらびやかな文化を遺した。 |
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