|
<本文から>
左様、この俄。
ニワカとよむ。仁輪加と書いたりする。路上などでやる即興喜劇のことだ。この小説にそういう奇妙な題名をつけたのは、この小説の主人公が晩年、小林左兵衛と名乗って日本一の快客、といわれるようになったころ、自分の一生をふりかえって、
「わが一生は、一場の俄のようなものだ」
といった言葉からとっている。読者は、この男のやることなすことに、一場一席の「俄」を感じてもらえば、筆者の主題は大いにつらぬき通せることになる。
さて、人の身。
運命というか。江戸時代も末期にちかづいているこのころは、物価も高く、都会生活が苦しくなっており、自然、市井に住んでいる人の身にふしぎなことが多い。
なかでもふしぎといえば、万吉の父親ほどふしぎな一生の男もすくない。
もとは、江戸のうまれで歴とした旗本だったという。
武士のころの名を、明井釆女といった。公儀お庭番というから、隠密である。
十一代将軍家斉の内命をうけ、隠密として大坂にくだり、町人に身を変えて大坂の高級幕吏の身辺をさぐっていたが、そのうちかんじんの家斉が死んだため、復命するあてをうしなった。
お庭番というのは将軍じきじきの密命によって動くもので、役目を果すまでは幕府の士籍からものぞかれてしまっている。
浪人せざるを得なくなった。
そのうち世話をする者があって、堂島中町船大工町の質屋で明石屋儀左衛門の養子になり、名も九兵衛とあらため、女房も、北野村の百姓長兵衛という者の娘およねをめとり、妻にした。
その失格のあいだにうまれたのが、この万吉である。 |
|