司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          人間というもの

■時勢に乗ってくるやつにはかなわない。

<本文から>
 時勢に乗ってくるやつにはかなわない。
『最後の将軍』 

■志を貫け

<本文から>
「人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」
『竜馬がゆく 三』

■革命は三代で成立する

<本文から>
 分類すれば、革命は三代で成立するのかもしれない。初代は松陰のように思想家として登場し、自分の思想を結晶化しようとし、それに忠実であろうとするあまり、自分の人生そのものを喪ってしまう。初代は、多くは刑死する。二代は晋作のような乱世の雄であろう。刑死することはないにしても、多くは乱刃のなかで闘争し、結局は非業に倒れねばならない。三代目は、伊藤俊輔、山県有朋が、もっともよくその型を代表しているであろう。かれら理想よりも実務を重んずる三代目たちは、いつの時代でも有能な処理家、能吏、もしくは事業家として通用する才能と性格をもっており、たまたま時世時節の事情から革命グループに属しているだけであり、革命を実務と心得て、結局は初代と二代目がやりのこした仕事のかたちをつけ、あたらしい権力社会をつくりあげ、その社会をまもるため、多くは保守的な権力政治家になる。『世に棲む日日 四』

■利が世の中を動かしている

<本文から>
 「論などはやらぬ」
 竜馬は議論というものの効力をあまり信じていない。議論などで人を屈服させたところで、しょせんはその場かぎりということが多い。
 「利だ」
 「リ?」
 「利が、世の中を動かしている。おれはまず九州諸藩連盟の商社を下関につくる」
 と、その構想を説明した。
 得意の株式会社論であつた。
 まず薩長を発起人として二、三の雄藩にはたらきかける。どの藩も財政にこまりぬいているからよろこんで加入するだろう。
 大どころが入れば、他の中小藩も、あらそって加盟を求めてくる。
「説きまわる心配などはないのさ。むこうから揉みあうようにしてやってくる」
 「なるほど」
 「時勢は利によって動くものだ。議論によってはうごかぬ」
  妙な志士である。

■家康のすぐれた点は長命だったこと

<本文から>
 家康も七十を過ぎた。寿命の常識からいえば、もういくばくも春秋は残っていない。しかし、この老人は気味のわるいほど壮健だった。
 若いころからのくせで、米はあまり食わず麦を主食とし、老人のくせに文学、茶道といった風雅の道にはまるで興味がなく、ひまさえあれば、まるで合戦に出かけるほどの陣容をととのえて鷹狩に出るのである。じつと屋敷にこもっていられないたちなのである。
 戦術家としては武田信玄、上杉謙信ほどの天才はなく、外交家としても、家康の師匠格であった織田信長ほどの鬼才はなく、人心を積る技術は豊臣秀吉に劣っているが、なによりも家康のすぐれた点は、それらの英雄とはくらべものにならぬほど長命だったということである。        『風神の門 上』

■議論などはよほど重大なときでないかぎりしてはならぬ

<本文から>
 竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なときでないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせている。
 もし議論に勝ったとせよ。
 相手の名誉をうばうだけのことである。通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、持つのは、負けた恨みだけである。

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