|
<本文から> やがて観世丸は、二隻のロシア船のあいだに入りこんで碇をおろした。
「どうする気だ」
と、嘉兵衛は、フィラートフ中尉にきいた。中尉は日本語がわからないため、かぶりを振った。ただ、笑顔を作ってみせたのは、どういうわけであろう。
このとき、ロシア人は嘉兵衛の縄を解いた。さらに他の者全員の縄をも解いた。
図合船の武装ロシア兵のほとんどは、本艦にひきあげている。
そのうちディアナ号のボートが観世丸に横付けになった。
「乗れ」
と、ロシア人が手まねで嘉兵衛にいった。
「待て」
嘉兵衛は手で制し、自分の衣類一式を持って来させた。船頭として外国の船に乗るのに、ふだんの潮風のしみこんだ着物では見ぐるしい。
かれは絹の紋服に羽織をはおり、袴をつけ、脇差を一本帯びた。小男ながら横に張った体で、顔が大きいために、見ちがえるほど立派な容儀になった。
ボートに移り、ほどなくディアナ号に着くと、上から音をたてて縄梯子がおろされてきた。
ただの縄ではなく、緋色の羅紗を編んだ贅沢なもので、嘉兵衛があとで知ったことであるが、これは佐官−もしくは艦長−かそれ以上の高位の者に対する礼遇として用いられるものだった。尉官は紺色の羅紗、ふつうの者はたんなる縄の梯子である。
ディアナ号は、嘉兵衛の人品や態度を見て、よほどの者と値ぶみしたらしい。
嘉兵衛に同行した尉官は、紺色の梯子をのぼり、他の者はただの縄梯子をのぼったことからみて、捕虜である嘉兵衛にも、意外なことながら、この一点だけは自分が礼遇をうけていることを理解した。しかしあと、どうなるかは、想像もつかない。
緋羅紗の縄梯子を登りながら、嘉兵衛は、
(ロシアの大将と話しあうのだ)
というただ一つ事に目的をしぼっていた。その目的のさらに奥には、観世丸の全員をたすけるというほかに、一分の副目的ももっていなかった。たとえば荷や船を保全したいということなど、すこしも思わなかった。
この目的意識を単純にしてしまったことが、登ってゆく嘉兵衛をかろうじて落ちつかせた。
ロシア軍艦も、英国式の作法で艦内秩序がうごいている。登りきって甲板へ一歩踏み入れる入口が、
「舷門」
とよばれる。碇泊中の艦には、つねに舷門に一人か二人の衛兵が立っているものである。時として、内外の高官を艦にむかえるときもある。その場合、舷門において登舷礼が用いられる。
当直将校の尉官が、着剣した銃をもつ一隊の下士官・兵を、二列に、それもむかいあわせにならばせる。高官がのぼってくると、いっせいに、
「捧ゲ銃」
をやらせ、次いで銃剣を交叉させる。その下を高官に通過させるのである。
船頭嘉兵衛は、そういうことは知らない。
かれは、このロシア帝国の軍艦の緋羅紗の縄梯子に手足を触れたとき、ロシアそのものに接し、かつはヨーロッパ文明の一つの突角に接触したのである。
ロシア人たちが、氷のような刃を銃につけて身がまえているのをみて、
(なにをしやがるんだ)
と、目が三角になってしまった。しかも、二列のロシア兵は、尉官の号令とともに、たがいに銃剣を差しちがえて、屋根のようなものをつくった。
嘉兵衛が翌年の文化十年(一八一三年)、帰国後、松前奉行にさし出した「上申書」には、
「槍付の鉄砲」
という表現になっている。嘉兵衛は、ロシア人どもが自分をおどしているのだとおもった。
のち、かれの口述をもとにした右の「上申書」の表現は、かれの心事と態度を、おもしろく表現している。
(お前らのおどしに乗るこの嘉兵衛かよ)
という気持だったのであろう。 |
|