|
<本文から> 嘉兵衛は箱館に入ってちょうど十日目に、幕府の仮役所から割賦(よびだし状)がきて、
−御用がある。
と、いう。すぐゆくと、三橋藤右衛門と高橋三平が、書類をあちこちにつみあげた広い御用し部屋にすわっていた。嘉兵衛はむろん身分柄、そこへは入れない。枚敷の廊下にすわらされた。
「やあ、嘉兵衛、そちの顔を三日も見ぬと淋しいわい」
と、三橋藤右衛門は、心からの声を出して、うれしいことばをかけてくれた。そのそばで、三橋以上に嘉兵衛好きの高橋三平が、顔をほころばせてじっと見つめてくれている。嘉兵衝は、ばかなことに、涙をあふれさせてしまった。
(自分をそこまで買って、それほどまでに好いてくれている)
という人にめぐりあうほど、人の世でのよろこびはない。むかし、唐土では、こういう感動のために男は命をすてる、という激しい言葉が書かれている書物があるということをきいている。
一面、嘉兵衛は、商人であった。
世に商人ほど、物や人を見る目と姿勢が冷静なものはないと嘉兵衛はおもっていた。
−商人たる者は、欲に迷うな。
とさえ、嘉兵衛は、自分の手育ての者たち忙教えてきたのは、一種の極端な表現であった。利と欲とはちがうのだ、ということを教えるための表現で、世間をひろく見渡すに、欲で商いをする者はたとえ成功しても小さくしか成功せず、かりに大きく成功してもすぐほろぶ、ともいった。
この極端な表現は、商いの上で私情を出すな、と嘉兵衛がかれらにいっていることにもつながっている。自分の趣味、嗜好、あるいは商いの相手を私的に好きだというだけで利の潮から外れた舟のうごかし方をするな、ということをも意味していた。 |
|