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<本文から>
孤島における経済から世界経済の中に加わった日本は、明治四年までは上古以来のとおり、租税を米でとっていた国であった。これでは国家予算をたてにくいということで、明治四年、にわかに金納制を布告した。このことは農民および農民同様の下級士族階級に深刻な衝撃をあたえ、各地で農民一揆が頻発した。室町期以来、日本には十分の商品経済が根を張っていたが、しかし農民の暮らしは原則として自分の消費用品は自分でつくるという自給自足がたてまえであり、貨幣経済にまきこまれないというのが農民の心得であるということを、江戸期、治者や農政家が農民に説いてきた。金納するにも、貨幣がなかった。この時期、現金を持った者に田畑をゆずり、納税金を肩代りしてもらうということで進んで小作になった者が、全国的に多かった。日本において、住民を一人のこらず金銭の中に巻きこんだという意味での本格的な貨幣経済が成立するのは、このときからである。それまでの農民は金を欲しがらなかった、というよりも、すくなくとも身の危険を冒してまで金をほしがるということは、個々の経済の基盤としては、ないにひとしかった。シソンズ教授の見方に従うとすれば、その金銭を得たいという特徴は、明治、大正の農民にかぎる、といえばいえそうである。もし江戸期の農民が、仮りに応募するとして濠州へ行っても、あれだけ果敢なダイヴァーになったかどうか、やや疑問のように思われる。 |
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