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<本文から>
山南は、顔がひろい。
なぜならば、江戸一の大道場で門弟三千といわれる千葉門下の出身だからである。この門下から、清河八郎、坂本竜馬、海保帆平、千葉重太郎など、多くの国事奔走の志士が出たのは、諸藩からあつまってくる健慨悲歌の士が多く、その相互影響によるもので、現代の東大、早大における全学連と類似とはいわないが、それを想像すれば、ややあたる。
江戸府内に友人が多いから、山南は天下の情勢、情報を、しきりとこの柳町の坂の上の小さな町道場に伝えた。
もし山南敬助という、顔のひろい利口者がいなければ、近藤、土方などは、ついに幕末の剣客でおわったろう。
その山南が、
「近藤先生、耳よりな情報があります」
と、仙台なまりで伝えてきたのは、文久二年も暮のことである。
「どんなはなしだ」
近藤は、山南の教養に参っている。
「重大なはなしか」
「幕閣の秘密に関する事項です」 |
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