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<本文から>
明治国家とキリスト教という話をします。
といって、宗教くさい話をするつもりはありません。第一、私はキリスト教には関心がありますが、クリスチャンじゃありません。
ごぞんじのようにキリスト教には、大別して旧教(カトリック)と新教(プロテスタント)の二つがあります。
明治時代はふしぎなほど新教の時代ですね。江戸期を継承してきた明治の気質とプロテスタントの精神とがよく適ったということですね。勤勉と自律、あるいは倹約、これがプロテスタントの特徴であるとしますと、明治もそうでした。これはおそらく偶然の相似だと思います。今回の主題は、この偶然の相似についてのことです。
もっとも″似ている″というのは、くりかえしますが、勤勉と自律、あるいは自助、それに倹約といった重要徳目だけで、他は似ていません。厳密好きな人がこれを聴いていて、苦情をおっしゃるといけませんので、ヘチマとヒョウタンが、蔓のぐあいや葉が似ているという程度の似方だと申しあげておきます。またキリスト教の一特徴は、教義の上で妥協ということがありません。その点、日本の仏教にせよ、神道にせよ、また風土全体が、大変妥協好
きでやや無原則でもあります。明治の精神とプロテスタンティズムが似ている、といえば、とんでもない、とクリスチャンの方でお怒りになる方がいらっしやるかもしれませんから、あらかじめ予防線を張っておきます。 |
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