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<本文から> 「面金は焼くな」
ともいった。面金とは、肋骨の形をした顔の防禦物である。その鉄に火で焼きを入れると固くなり、稽古のとき折れやすい。
「鉄をそのままにして、それぞれの枝金ごとに型に入れ、たんねんに鎚で打って形をつくれ」
と、鍛冶のことまで指導した。
「籠手はかならず鹿皮」
これは周作の考案である。布刺子を用いている流儀があるが、これは打たれると骨にひびく上に、すぐ破れてしまう。
「鹿皮もな」
と、この研究心旺盛な若者は、どういう種類がいいかについて結論をもっていた。
「甲州印伝の鹿皮財布につかつている大唐という種類のものがいい。よく伸縮する。下緒の皮花緒などでつかう小唐という類はきめがこまかくて見た目はいいが、細工するときには針が通りにくい」
「胴は孟宗竹だぞ。真竹はいかん。真竹は元来ほそいから丸竹をならべたようなかっこうになる」
「竹刀はべつだ。これは真竹だ」
といった。
竹刀の寸法は、周作は原則として三尺八寸にきめている。竹刀の重要部品である尖革と柄革は、牛のナメシ革を用いさせた。
「柄革は内縫にせよ。外縫にすると籠手の皮をいためるからだ」
つる
竹刀には舷が要る、この絃を、最初甲曽師は琴の糸にした。周作は、
「てんぴきがいい」
といった。てんぴきとは、牛の筋に捻をかけた硬質のものである。
とにかく、上州一円で北辰一刀流は割れるような人気になったといっていい。
周作の教授法も、斬新だった。すでに他流をきわめている者についてはとくに北辰一刀流の「形」を教えず、この新流儀の真髄である竹刀撃ち合いにいきなり入らせてしまう。
-運動のなかから自然、流儀のこつを体得するだろう。しかるのちに既得した形をすこしずつ修正し、無理なくこの流儀の形に変えさせてしまう。
というやりかただったから、小泉や佐鳥などすでに一流儀をきわめた者の上達は魔法のように早く、一月目で十分、「北辰一力流の使い手」として通るようになり、二段も三段も腕があがった。このふしぎさがなければ、こうも爆発的な人気がかちとられるものではない。
(こわいほどの人気だ)
と周作自身もおもった。
周作にすれば、兵法の図上州をもって自分の流儀の試験台にしようとしていた。それが目的の大部分だった。
(わが流儀、いける)
という自信がついた。上州で成功すればハおそらく天下に及ぼした場合、水の低きにつくがごとく天下の剣は滑々として北辰一刀流になびくであろう。
いわば、実験のつもりできた。実験がおわれば周作はさっさと去るほうがいい。
が、実験というものは、その実験が大きければ大きいほど危険をともなうものだという教訓を、周作は徐々に得つつある。 |
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