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<本文から>
「気味のわるい男だな」
「くわしくはおいおい話すが、とにかく日を選んで江戸へ発ってもらいたい」
「江戸へ?」
「それも右近衛少将高野則近としてではなく、無冠の布衣としてだ。まず、身分をかくしてもらわねばならないし、さらには、たとえ道中で命を落すことがあっても、名もなき庶人として死んでもらうことになるだろう」
「あまりいい役回りではないなあ」
「朝権回復のためには、かわいそうだが、公家の一人や二人は死んでもらわねばなるまい。ただこまるのは、尊融法親王が江戸へ公家密偵使をつかわすということが、幕府に洩れているらしいことだ」
「らしいどころではない。そのために、数度にわたって私の命が消えかけている」
「幕府は、この公家密偵使を、企ての内容がわからないままに必要以上に恐怖しているようだ。これからも、あなたのくだる東海道は、剣光のふすまが立ちならぶことになるだろうが、そのためには、青不動を従者につれて行ってもらいたい」
「ごめん、お話し中ながら」
声がして、門兵衛が屏風のかげから這いでてきて、
「百済ノ門兵衛、じつは渡辺門兵衛源等、嵯峨天皇二十七代の末裔でござる。代々摂津郷土として大坂に住み、いまは才覚を商うて世をすごすもの、このたびはわが取引き先の小西屋総右衛門ともうす道修町の薬商人から頼まれ、少将則近公とともに地獄のはてまでも同道つかまつる。はて、ひつれいながら、路用の」
「なにかな」
「金は、小西屋総右衛門名代この百済ノ門兵衛が引きうけ申したぞ」 |
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