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<本文から>
結果として数奇にも「国を数多治む」とい、つはめになったために、「七人申合せ」という伝奇性に富んだは咄ができたのであろう。文中、
−もし、このうちの一人が大名になったなら。
という意味のことが書かれているが、この時代、一介の牢人から成りあがって大名になるという例がなく、室町幕府の公方と諸国の守護の権威が世をおおっていて、右のような野望をもつこと自体、滑稽を通りこしてありうべきではない。
ただ、早雲は結果として大名になってしまった。その後、よほど時代が過ぎてから、卑賤から身をおこして一国のぬしになるとい、ついわゆる「戦国大名」の世になる。そういう世になったのちに早雲の伝承がうまれ、文章にも書きのこきれた。なったあとで、
−どうせ早雲も、そうだったのだろう。
という憶測がうまれ、咄にもなった。
が、早雲の時代には、戦国の世とは、時代の条件がちがっている。人間の志向が歴史に拘束れている以上、七人が、口から虹を吐くような申しあわせなどするよしもない。
早雲にすれば、北川殿を救いたかったし、救うことに自分自身の生甲斐を見出しただけのことであった。他の六人となると、さらに志は小きい。それぞれが一郷一家の厄介の境涯から身を脱することができればいいというほどのもので、前途に思いもよらぬ光景がひろがるなどとは、思ってもいない。 |
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