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<本文から> 司馬 だから織田信長から近世を始められると言うわけでしょう。これはなかなかの見識だと思いますね。
山崎 織田信長は「天下布武」という旗をかかげて京都に進出し、そして全国政権を作る基盤を京都に作りますね。完全に日本の隅々まで押さえたかどうかは疑問ですが、すくなくとも足利幕府のやれなかったことをやった。それ以後、豊臣秀吉が京都を継承し、徳川家康は江戸を開きましたが、一貫して言えることは都市に政権ができたということです。政治と経済が結びついて一つの都市が日本の中心になっていく。そのへんが私は近世の始まりじゃないかと思うんです。すると、信長をもって始めるというのは大変わかりやすい。
司馬 たしかにそうですね。信長という人は楽市楽座という商工業の自由というスローガンをかかげて版図をひろげましたね。それに、諸国の地停に打撃を加える。この政策は、秀吉にも引きつがれます。地侍は名子という農奴同様の被隷属者をひきいている存在です。ともかく信長は都市を考えた。彼は当座やむなく京都に腰をおろしていましたが、やがては大坂へ引越すつもりでした。だから大坂の石山本願寺に立ち退きを命じて戦争になった。スペインでいうと京都はマドリッドで、内陸にあるわけです。内陸じゃよくない。信長に接触した西洋人のほとんどはポルトガル人でした。ポルトガルの本国のリスボンも首都でありかつ貿易港ですし、その東洋での策源地のゴア(インド)もマカオ(中国)も海港です。それで大都市もしくは行政の都市は沿岸に設けるべきだというのが大坂進出の理由だったと思いますね。
首都が港を兼ねるというのは豊臣秀吉が継承するんですが、秀吉ははっきりと意識的でした。家康は東海地方で根っこのはえた大名だったのに、夜店の植木屋の植木みたいに関東に移した。他の大きな大名も、たとえば浅野氏が広島を開きます。ことごとく沿岸に設けたというのは、信長のヒントによって秀吉が継承し、家康の時代に花が開いたということですね。
近世≠フ日本の大都市がほとんど沿岸に発達したことが、江戸という商業時代の一つの特徴を形づくつたと思います。これがマドリッド型の内陸都市だったとしたら、江戸時代はまったく違う展開をしていただろうと思いますね。 |
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