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<本文から> あとはくたびれればひきあげるというものだった。日本の戦史からいっても、これほど戦争−戦闘には熱心でも−を理解しなかった集団は、まれであるといえるかもしれない。
篠原は、その代表的な男だった。
午後二時どろになる。と、かれの麾下千二百人が携帯していた銃弾がなくなった。
篠原はそれ灯より、自隊をまとめ、さっさと戦線を離脱してしまったのである。
この時刻は、敵中に入りこんでいる桐野・村田の隊が、もっともさかんに戦闘しているときだった。かれらこそ、いい面の皮だった。敵中で置き去りされてしまった。
中央隊篠原国幹が−弾丸が無くなったという理由だけで、その意味でいえばほとんど少年のような無邪気さでもって−戦線離脱してしまったということは、かれの可愛らしさを表現する行動だったといっていい。
かれは極度に無口なために、ひどく物事を考えていそうな男のように見られてきた。
しかし、かれが衆議の場所で発言したり、決定に参加したりしたことを集めて考え直してみると、やはり物事を全体像として見たり、総合して考えたりすることのできない人物だったかのように思える。将領とは総合的思考者のことをいうが、篠原は戦場において物事を絵合する力を欠いていた。西郷がこういう一種の愚人を抜擢して陸軍少将にしたり、それを桐野とならべてもっとも愛し、こんどの挙兵においても桐野とならんで二本の柱として重用してきたことは、西郷におけるわからなさの一部分である。
篠原は、自分と自分の麾下千二百人が勝手に撤退してしまえば、敵中で斬りまわっている桐野・村田の千教百人が孤軍におちいるということを、思わなかったのかどうか。
「弾がなくなったから仕方がなかった」
と、篠原はいうであろう。篠原は個人としては多くの美質をもち、魅力にも富んだ男だったが、しかし自分自身がなすことについての影響の計算において致命的なものを欠けさせていた男ではなかったか、と思える。 |
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