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<本文から> 高城城義之氏は、西南戦争について西郷がとった態度の不可解さ−以前の西郷にくらべ−につき何項目かをあげ理解に苦しむとされている。一つは本来、経済に綿密だったはずの西郷が軍資金について全く無頓着だったことや、また作戦行動中、戦いは桐野らにまかせきりで
終始無為傍観の態度をとおしたことなどをあげ、あるいは「頭の強打との間に、何か因果関係があるのではないかとも考えます」と、いっておられる。以上は、昭和五十年三月十四日付で筆者がうけとった手紙の要旨である。
いまとなれば、西郷の行動を病理的に解釈づけることは不可能だが、すくなくとも西南戦争における西郷の行動の巨細をもって西郷像を決めるとすれば、幕末において西郷があれ性どの活動をした革命家であったということのほうが、うそになる。あるいは、桐野らは西郷の知能に期待せず、西郷の知能よりも、西郷の世間における圧倒的な名声のほうを−意識的に−担ぎあげたのではないか。 |
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