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<本文から> 一方、東京にあっては、
−萩と前原一誠については、木戸ら長州人にまかせておく。
というのが、当初の空気だったらしい。
しかしとてもその程度では手に負えないと木戸が判断したのか、そのことを大久保に相談したのか、薩摩糸が動くようになる。
具体的には、大警視川路利良である。川路自身が大久保のもとに行ってその許可を得たのか、それとも独断でやったのか、警察関係を用いなければとうていできないことを、対策に乗せた。
前原を挑発して、乱をおこさせることである。それも、西郷より早くおこさせねば、将来もし両者が協力して起ちあがれば手に負えなくなる。
つまり、前原を挑発して早々乱をおこさせ、政府はそれをすかさず討ち、山口県だけはまず片つけておく、というのが、川路の基本方針になった。証拠はないが、以下の実例でそのことが察せられる。
(中略)
突如の来訪者は、面差、それに訛りがことごとく薪の人間とはちがっている。
「鹿児島より参った者です」 と、両人のなかの一人がいった。名は、差し出した紙に書かれている。 |
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