|
<本文から> 明治の初年に廃仏毀釈があった。奈良の興福寺は、いまで言うなら東京大学、叡山は京都大学、というほどの権威をもった存在なのに、それが一片のお布令で、何の抵抗らしい抵抗もなしに、明日からは春日神社の神主になったりするんですね。
こういう文化大革命が上からおこなわれるときには、国家は兵隊を寺なら寺にさしむけ、とり囲み、場合によっては銃剣で圧伏し、死人が何人か出る…というのが普通でしょう。
それがお布令一枚で廃仏毀釈という世界史上類のまれな文化大革命がスラスラ行ったというところに、日本人と日本史の本質の一部をのぞくことができます。お布令というものは、徳川時代から続いています。″お上のこわさ″に対する強度の畏怖感があるんですね。それにしても、郵便でお布令が舞いこんだくらいの軽い手続きで、興福寺ともあろう仏教上の大権威が、昨日までの仏教を捨ててしまう。捨てるだけではなく、昨日まで拝んでいた仏さんを風呂の薪にして、その湯で坊さんが温まっているんです。昨日までは仏教だったが、きょうからはもう神道だ、ということで、これがほとんど絶対的な正義なんですね。 |
|