司馬遼太郎著書
ここに付箋ここに付箋・・・
          翔ぶが如く 1

■戦には鈍さが必要

<本文から>
 そうが、それだけではいかん」
 「知恵のうえに勇がいる」
 「そう。しかし、それだけでもいくさというものは勝てないな」
 「どういうことだ」
 「鈍い、ということが要るのさ。知と勇だけでは条件にならぬ。鈍さがなければ」
 「おぬしのようにか」
 「ああ、おれのようにだ。惨憺たる状況のなかで鋭敏すぎる者はいちはやく敗北感をもつものだ。敗北感をもった瞬間から事実上の敗北がはじまる。自分が浮き足だつ」
 「いまの場合、敗北は事実だ」
 「事実だろう。しかしそれを″敗北″と感ずるのは自分の心だ。おなじ事実でも勝利と感ずることができる」
 「これを」と、左内は驚いた。
 「勝利と思えるのか、おぬしは」
 「思えるとも」

■七たび牢人しなければ一人前の武士とはいえない

<本文から>
 戦国も時を経るにしたがって技能のある牢人が優遇されるようになった。
 技能の最高のものは、天下の政情に洞察力があって軍事・外交に堪能、という軍略家の能力であるその代表的なものは織田家に召しかかえられた美濃牢人明智光秀、すこし時代がさがって大坂城の傭兵隊長になった真田幸村、後藤又兵衛などがある。
 これにつぐ格は、百以上の隊を指揮できる実戦指揮官としての能力者である。塙団右衛門などがそうであろう。
 剣や槍の熟練者の牢人もいる。いわば歩卒のわざだけにこれはもっとも格がひくく、召しかかえられる場合の禄もひくかった。宮本武蔵などがその好例であろう。
 いずれにせよ、この時代、器量と志ある牢人はひろく天下を周遊し、自分の目で主人をえらび、これはと思う大名に仕えた。気に入らねばすぐ主家を退転した。
 「七たび牢人しなければ一人前の武士とはいえない」
 とさえいわれた。
 ところが、能力ある牢人を大いに優遇する傾向のあるのは、畿内を中心に、山陽道、東海道の大名がおもで、九州、関東、東北、といったところはその点で遅れている。ことに東北がもっとも遅れている、といっていい。
 権力交代の地から離れすぎているせいか、技能を尊重し大胆に他国者を家臣団にとり入れてゆくことに、臆病であった。それよりもむしろ鎌倉の武家組織のように、家の子郎党という譜代重恩の家士を尊重し、血縁でむすばれた主従関係で運営されている。

■小悪は悪にすぎない。大悪は政治・軍略という名でよばれる

<本文から>
 赤座刑部は、思案した。
 (この転身にはみやげがいるのではないか)
 そのことである。伊達家から単に上杉家に脱走するだけでは曲がなかろう。仕官するにあたって上杉家に利のある功名をたてて若松城に乗り込む。されば刑部への評価もあがり、処遇もかわってくるのではあるまいか。
 赤座刑部はこまごまと思案し、ついに、
 (この城を上杉家に進呈しょう)
 という結論に立ち至った。どうせ伊達家を裏切るのである。単身脱走しても悪名はまぬがれぬ。しかしながら城ごと上杉家に持ちこめば、話は一変する。これは悪事ではなく軍略になる。
 (世間とはそういうものだ)
 小悪は悪にすぎない。大悪は政治・軍略、という名でよばれるものだ。世間が受ける印象は、悪人赤座刑部というものではなく、逆に大器量人としての盛名を得るであろう。
(甲州の故武田信玄がそうであった信玄は若いころ実父を国外に追って政権をうばった男だ単に実父を殺しただけなら悪人だが、政権をうばい、武田家を相続し、甲州の守護大名となり、土民を撫育し、武威を天下に張ったればこそ信玄は英雄の名をほしいままにした。大悪は大善に通ずるものらしい)
 と、赤座刑部は考えた。
 (さればおれがこの城を奪る)
 が、城内にいるのは、目付遠藤三四郎をはじめすべて伊達家の人数である。よほどの策をもちいなければ城はとれない。
 (車藤左をつかうことだ)
 論理は自然、そこへゆく藤左の活動をかげながら支援し、ときには積極的に知恵をさずけ、ついには伊達勢を追って城を奪らしめる。しかし
(それでは車藤左の手柄になってしまう)
 城を奪ったあと、藤左を、刑部みずから手をくだして倒すか、それとも他に倒させるか。いずれにせよ藤左をこの地上から消滅させてしまう。しかるあと、上杉家の人数を城に迎え入れる。
 (それしかない)
 刑部の思案は、それで完結した。あとは行動があるのみである。

■一人で城を奪ろうという子どもじみた夢想をもった

<本文から>
 なるほどこの男は、一人で城を奪ろうという子どもじみた夢想をもった。子どもじみた、どころか、子どものころから夢み続けてきたこの男の理想のようなものだ。
 理想、というとひどく哲学じみた響きをもちすぎて、この場合の用語にふさわしくないが、藤左の夢想には哲学の響きはあるようだ。
 なぜならば、最初から非実利的な野望であった。城を奪って立身するという目的もなかったし、城を奪ることによって巨万の富を得ようとも思わなかった。ただ城を奪りたかった。ひたすらに奪りたい、と思った。
 (男の仕事は、すべてそういうものだ。仕事をするために仕事をするのだ。仕遂げおわって、それがどうだ、ということはない。それが仕事というものだし、人の一生ということであるかもしれん)
 藤左は、本丸へ歩いた。
 やがて本丸へのぼる石段の下まで来て、本丸を見あげた。
 ひとの声が聞こえるようである。
 人間の反応というものほど、ときに奇妙で奇怪なものはない。
 藤左のこの場合がそうである。
 本丸から、敵の話し声がきこえた。当然、藤左はその反応として恐怖と緊張を覚えねばならないであろう。が、この男の反応は、この場合まったくちがっていた。
 不快を感じた。
 (けしからぬ)
 といういきどおりさえ感じた。自分が「占拠」したはずのこの空間に、なお敵がいる藤左は、顔をしかめた。
 せっかく、かれの胸奥からふつふつと湧いていた甘美な陶酔をさまたげるものであった。(おれの「完成」を拒否する気か)
 そんな気持である。車藤左という風狂人にとって行動そのものが、つねに芸術的陶酔をしもなっている。その行動が、いま完結したとおもったとたんに、そこに敵がいる。

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