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<本文から> 正則はさらに使いをやり、
「足下は清洲城での約束をきたなくもやぶった。いましばし城攻めを中止して拙者と勝負せよ」
と申し入れると、輝政もさすがにこの執拗さに手を焼き、辞を低くし、
「昨暁、われら渡河のときいきなり開戦したのはわが本意ではなく、敵が鉄砲を打ちかけてきたためやむなく応戦したまでである。またこの城攻めも敵の大手門を攻めるつもりではない。大手門は足下が攻められよ。拙者は水ノ手口にむかう所存」
と正則のもとに申し送ったため、正則の感情はいささか鎮まった。
「三左めは、膝を屈しおったな」
正則は天にむかって哄笑し、采配を振り、軍を旋回して大手門にむかった。奇妙な性格というべきであった。正則にとってつねに片腹痛いのは味方であり、味方への憎悪と競争心だけがこの男の行動の基準になっている。かれが東軍に加担したのも単に三成への憎悪だけであり、東軍最強の猛将として奮迅のはたらきをいま開始しようとしているのも、家康のためではなく、同列の先鋒大将池田輝政との競争心からであった。この奇妙人を眺めつつ、
(上様は御運がよい)
と軍中で思いつづけているのは、家康の代官井伊直政であった。直政は思うに、もし福島正則という男が東軍にいなかったら事態はよほどちがったものになっていたであろう。なにしろ東軍諸将はことごとく豊臣家恩顧の大名であるために、西軍との接触が近づくにつれて気持が当然重くなり、ついには戦意をうしなうか、あるいは一部で寝返りさえ出ようという危険を感じてきた。ところがその自然な感傷を、正則の暴風のような競争心が吹っとばし、諸将も正則の勢いにあおられて敵にむかって猪突しはじめた。東軍諸将の戦意をここまでひきあげた功績は福島正則の性格にあるといってよく、このゆえにこそ井伊直政は、
− 上様は御運がよい。
とおもったのである。 |
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