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<本文から>
朝倉内膳もそう思ったらしく、左近をかえりみていった。
「家康はまさかこの城で戦おうとは思っていまい」
事実、家康の日本制覇への構想のなかには江戸籠域の一項などはないであろう。
「この城をみても、家康の料簡がわかる」
と、左近がいった。
「家康にとっていま必要なことは城普請で金銀米塩をつかうよりも、それをひたすらに貯めおいていざというときの軍資金にすることだ。城など、いかに粗末でもいずれ天下をとれば諸侯に手伝わせて一挙に壮麗なものにすることができるのだ。あの老人の利口さが、あの土塁やあの粗壁にもあらわれている」
かといって、江戸城は他大名の城郭とくらべれば巨大である。家康は、自分の家来だけでも万石以上の大名級の者を多く抱えているのである。それらの江戸屋敷が、域の内外にびっしりならんでいる。
左近たちは、その屋敷群をも観察した。
(感心なことに、どの屋敷も、田舎の地侍の館より造作が粗末だ)
と、左近はおもうのである。それは徳川軍団の貧弱さをあらわすものではなく、むしろ逆にその素剛さ、その資金の蓄積ぶりをあらわすものであろう。
(手ごわい)
と、左近は思いつつ下町のほうにゆくと、海浜がどんどん埋めたてられて街衝が出来てゆきつつある。
非常な活気であった。都市の規模としてはまだまだ京大坂にくらぶべくもないが、町で活勤している商人、職人などの顔つきは上方の両郁よりもはるかに活力にあふれているようにおもわれる。
「庶人の数が、ふえる一方だそうだ」
内膳はいった。諸国からこの新興都市をめざして馳せあつまってくる庶人の数は、あるいは増加率は京大坂をはるかに凌ぐであろう。
(庶人には勘がある。江戸へくれば職がある、物が売れる、という目さきの利益だけでなく、江戸がやがては天下の中心になることをかれらは皮膚で感じとっているのではあるまいか) |
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