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<本文から> (いや、むしろ過失がなさすぎるせいかな。思いあわせてみると、あのときの七人の仲間は過失のない律義者の順で石高が小さい)
とおもった。なにはともあれ、武功よりもむしろ、秀吉は、権平には侍を統御する器量に欠けるため大名にしなかったのであろう。それならばなんとなく権平にはわかるし、それはそれでよい、とも思っていた。人は応分に生きるべきだと権平は思っている。
「むかし、孫六という友人がいてな」
と、権平はおあいにわかるように話を噛みくだいてやった。
「おまえ派手でない、それは損じゃ、せめて唄の一つもうたうべし、と賢しらに申しおった。つまり、そういうことかな」
「その孫六といわれる方は、いま何をしておられます」
「加藤左馬助嘉明よ」
えっ、とおあいは驚いた。咳きこむように、
「加藤様ほどのお方がむかしのお友達なら、いちど、なぜあなた様だけお知行がすくないのか、たずねてごらんあそばせば?」
「なるほど、な」
権平はそうすることにしたが、じかに会うのも気重だし、あらかじめ、用むきを書きしたためて、使いにもってやらせた。
加藤嘉明はそれを読み、なんとなく気にかかっていたことなので、秀吉にとくに拝謁を乞い、むかしの友人のために弁じようとした。
秀吉も、意外な顔をした。わすれていた、という驚きである。
「なるほど、権平はまだ五千石であったか」
とつぶやき、なぜ自分は権平を大名にしなかったかについて理由を考えようとしているふぜいであった。しかし、ややあって、
「理由はないなあ」
と、音をあげるようにいった。まったく理由がない。そのくせ、とくに気の毒だという気もおこらないのである。
「つまり、権平はそういうやつだ」
と、秀吉は笑いだした。なにか、権平に加増してやるのが惜しいような気がするのである。 |
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