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<本文から> どころが、いぎ行なおうというときになって、気持がゆらいだ。
−ノギがどこから出てくるかわからない。
といういまにはじまったことでもない条件が懸念になりはじめた。さらには自軍のはるか後方まで秋山騎兵旅団の一部が跳梁し、交通破壊その他後方破壊をやりはじめていることが、ひどく気になった。
常識的にいえば、敵の椅兵がその程度のしごとをするのは、火事になれば消防士がはたらくのとおなじで、戦いのつねの婆なのだが、しかしクロバトキンの神経にあってはそうは思えなかった。かれはにわかにこの黒溝台(沈旦堡)コースの進襲計画をすてようとし、軍司令官をあつめてあれこれ言ってみたが、出席したすべてのひとびとが、かれが暗示する作戦中止に反対であった。かれはやむなく、
「既定方針どおりにやろう」
ということで、会議を散会させた。
「ロシア陸軍きっての秀才」
といわれたかれは、陸軍士官学校のときも陸軍大学校のときも、じつにうつくしい筆蹟で答案を書いた。この戦場にあっても、かれはつねに故によって答案を書こうとせず、かれ自身を相手に答案を書こうとした。おそらく完璧な答案というのはそういうものであるであろう。
かれはその軍司令官会議(二月十九日)がおわってから奉天にもどったあと、みずからの完璧志向と格闘し、夜に入ってもねむれず、ついに未明に起きて出て、各軍司令官に手紙をかきはじめたのである。
−やはりあの作戦はやめだ。
という趣旨のものであった。むろん、
「中止する」
とは書かれていない。作戦家らしく、さまざまの作戦的論理がみごとに装飾されており、その点はいかにも軍事学の秀才らしかった。要旨は、つぎのようである。
「どうも考えてみたが、日本軍はノギ軍に二つの道のどちらかをとらせるように思える。一つはわが左翼をつかせるか、それともはるか後方の寧古塔・吉林方面に使うか、どちらかである。そうなれば日本軍総予備隊(実際は皆無といっていい実状だが、クロバトキンは当然自分の戦術常識として日本軍が何個師団かを控置させているとみていた)は、中央の撫順方向へ前進してくるにちがいない。そうなればわが軍の中央があぶなくなり、この作戦計画は現実性をうしなう。だからこの作戦計画は中止せざるをえない」
こうなれば、老婆のくりごとにすぎない。先刻わかりきった条件をくどくどとくりかえずのみで、あらたな局面をひらくということに恐怖のみをもち、その恐怖表現として軍事用語をつかっているようである。
しかし、
「作戦中止」
とまでは、クロバトキンは言いきれない。多少の尾ヒレをつけておく必要があった。それはロシア帝国のためではなく、かれ自身の官僚的立場をまもるためであり、もし後日、ロシアの宮廷からかれの弱腰を衝かれた場合、それを言いのがれるための配慮だけはしておかねばならなかった。
要するに、かれはその配慮による作戦だけを用意する。それによって兵を死なしめるのだが、専制者(皇帝)が支配する国家の兵というのは、つねにそういうものであった。独裁者の機嫌を損じまいとする官僚たちの保身のために兵たちは死なねばならず、死んでもむろん、そういう国家の兵士である以上、その死は当然な死であり、さらには皇帝と表裏一つになっているギリシャ正教の宗教的権威がかれらを天国へ送りとどけてくれることだけはたっぷり保証されていた。
「配慮的作戦」
として、クロバトキンは、各軍司令官への手紙でこのように書いた。
「中止としても真に中止するわけではなく、決戦を三月まで延期しようということである。三月になれば欧露からのわが増援兵力(大山・児玉がもっともこれをおそれていた)が、戦場に到着する。それを待って積極作戦をやろうというのである。それを待つのだが、待つだけでは士気が弛緩するであろう。士気を振起するための攻撃だけはやる。これがために沈旦堡を攻める。攻めて黒溝台をとれば、それでもって攻撃を停止し、三月の増援兵力の来着を待つ」
というものであった。
当然、この手紙によって第一線の各軍司令部は混乱した。
かれらはみな反対した。 |
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