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<本文から> 好古は、水筒のそばに、装弾したピストルを置いてある。敵の駒兵がこの司令部に突っこんできたとき、そのときはもうやむなく、
−ポンとやるつもりだった。
と、のちに語っているが、実際のところそれ以外にない。
「これからどうなさいますか」
「どうもこうもないよ」
好古は、田村の顔をみて、二ヤリとわらった。持ち駒(予備隊)も出しきっている上に、援軍にきたはずの立見尚文の弘前師団自体が途中で故に包囲されて立ち往生してしまっている以上、好古としては。自分が死骸になってしまうまでここに踏みとどまっている以外にない。
そのあいだも司令部の前後左右に砲弾が落ちては爆発し、このままではこの司令部が吹っとんでしまうのも時間の問題のようにおもわれた。
「おれに出来ることは、こうしてここにすわっていることだけだ」
と、好古は立っている田村に水筒のフタをわたし、ブランデーを注いでやった。田村がためらっていると、
「飲め。焼酎よりはうまい」
といった。
そのうち、沈旦堡の豊辺大佐から伝騎がやってきた。伝椅は帽子のヒサシの下が鉄色に焼けた曹長である。
曹長は、好古の副官になにごとかをいった。
好古は靴をはいて、床に立ち、
「それはいかん」
と、まずいった。言いながら好古にとって豊辺大佐がまだ生きて活動しているということじたいが、奇蹟のようにおもわれた。
豊辺大佐が具申してきたことは、
「馬を後方へ退げたい」
ということであった。
騎兵が馬に乗らず徒歩兵になって防戦している。このため馬は後方の壕の中に入れて繋いであるのだが、なにしろ砲火がひどいため、馬がどんどんやられてゆく。馬が不要である以上、後方へさげてはどうか、という豊辺大佐の申し出は当然であった。
が、好古の考えはちがっていた。
(それなら、ただの歩兵になるじゃないか)
という思いが、まずある。
好古が日本の騎兵科をつくりあげたが、日本の陸軍の幹部たちは騎兵というこの短時間に長距離をゆく能力をもった奇妙な兵種が、どうしても理解できず、つねづね、
「騎兵など無用の長物」」
という声を放ってきている。しかも児玉源太郎にしても松川敏胤にしても騎兵集団である秋山支隊を防御につかうということをやってのけた。いわば、歩兵になってしまった。
げんに豊辺椅兵大佐は、いま沈旦堡にあって歩兵として敵をふせいでいるのである。馬だけは余分であった。
−が、その余分であることを、いまわしが認めればどうなるか。
と、好古はおもうのである。最高司令部の無理解はともかく騎兵自身が、自分が騎兵であるという意識が薄くなるのではないか。
好古は、このため反対した。
「騎兵はな」
と、つけ加えた。
「馬のねきで死ぬるのじゃ」
ねきというのは、そばという意味の伊予ことばである。
(こいつは、むずかしいところだ)
と、横できいていた田村守衛騎兵中佐はおもった。田村もまた好古のいわば弟子だが、しかしこの場合、馬をいたわったほうがいいのではないか。馬の補充は十分ではないし、それに前線に繋いで馬を無用に死なせることはないであろう。
げんに皇辺大佐の部隊の馬の死傷は百五十余頭におよんだから大きな損害であった。
しかしながら好古はあとあとまで、
「あれでええ」
と、持説を撤回しなかった。かれは、最後の一兵になるまで陣地を死守せよ、という極端なことばはついに吐かなかったが、これは一つはその代わるべき表現であったかもしれない。 |
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