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<本文から> ところが、旗艦ツエザレウィッチの運動が奇妙であった。左へ左へ国頭し、狂奔するがようにして自分の艦隊の列のなかに突っこんできた。四番檻はベレスウエートであった。ベレスウエートはあやうく横腹にぶちあたられるところであり、艦長ホイスマン大佐はすぐさま右へ舵をとった。このためにそのぶんだけ日本艦隊に接近した。すぐ左へなおした。この艦に、ウフトムスキー少将が座乗している。
「旗艦に異変がおこっている」
と、少将は判断した。やがて死の旗艦のマストにたれがあげたのか(あとでわかったところではカミガンという一大尉であった)、
「提督ウィトゲフトは、指揮権を他にゆずれり」
という信号があがった。
ウフトムスキー少将はこれをみて、序列により全軍の指揮は自分がとらねばならないとおもった。ところがかれはこの戦闘惨烈のなかで、故司令長官の方針を一変することを決意したのである。ウラジオストックヘゆかずに旅順港へひっかえすことであった。
かれは信号兵をよび、
「われに続兢せよ」
との信号をあげようとしたが、信号旗をあげるべきマストが二本とも無かった。結局かれは将旗を司令塔の横に出し、各艦がそれを確認したものとして、西方へ変針した。混乱はこれによっていよいよ大きくなった。
ロシア側の最大の不幸は、この決戦の時機に、各艦がどこへ行っていいのかわからなくなったことであった。
その混乱というのは、名状しがたい。旗艦ツエザレウィッチは司令塔に死人をのせたまま、狂ったような円運動をつづけている。二番艦レトウィザンがはじめ左転し、ついで右転した。後続する三番艦ポベーダは自然そのまねをし、左転し、右転した。あらたに旗艦になった四番艦のベレスウエートは、狂い艦のツエザレウィッチをかわそうとして最初は右転、ついで左転、そのあと三転して西方へ航路をとった。が、先行する各艦は、この艦があたらしい旗艦であることを、容易に気づかない。後続する五番艦セヴアストーポリだけが了解してつづいた。六番艦のポルターワは、新旗艦から離れすぎていた。
「なにごとがおこったのだ」
と、艦長のウスペンスキー大佐が、かたわらの航海長にあわただしくいった。
「よくわかりません」
航海長は、前方を凝視しながら声をふるわせた。
「しかし旗艦ツエザレウィッチが落伍したことだけはわかります」
わかるのは、当然だった。ポルターワは、狂走をやめた元旗艦ツエザレウィッチの横を通っているので為る。この元旗艦は、右舷にかたむいているが、沈没をまぬがれている。カミガン大尉があらためて指揮をとろうとしたが、どこへゆくべきかに迷った。海軍は航行しながら交戦するため、敵味方の戦場ははるかに遠くなってしまっている。
(膠州湾へゆこう)
と、カミガン大尉はおもった。ウラジオストックとは正反対の方角だが、距離もちかくであり、安全でもあった。膠州湾はロシアと同盟国であるドイツの租借地である。
結局この元旗艦は南航して膠州湾をめざし、さいわい途中日本艦隊に発見されることなく翌日の夜九時、膠州湾ににげこんだ。もはや戦闘はおろか、これ以上の航海にも堪えられないほどに破壊されていた。
ドイツ官憲としては、同盟国としてたとえ国際法を犯してでもこれをいたわるべきであった。
しかし、ドイツ人の国民性なのか、勝者を畏敬するが敗者に冷淡であった。総督ツルッペルは国際法をたてにとって、
「出て行ってもらいたい」
と、露骨に要求した。つい先日まで、ドイツは旅順のロシア陸海軍に協力的で、旅順とロシア本国の軍事電報のやりとりをこの膠州湾で中継していたのである。
とても出てゆけない、とロシア側が返答すると、ドイツは中立国がこの場合とるべき当然の行動をした。艦の大砲をはずし、その他いっさいの武装を解除して戦争がおわるまでこの艦を抑留してしまうことであった。
この元旗艦とともに駆逐艦三隻がこの湾に逃げこんだが、同様の運命になった。
戦場では、夜がちかづいている。
東郷は、混乱した敵艦隊を包囲しさらに激しい砲撃をれえたが、敵も必死で逃げた。そのころには日がまったく暮れたため、東郷にすれば惜しいところで砲撃の中止命令を出さざるをえなかった。午後八時二十五分であった。敵の各檻を大破させているものの一定も沈めていないのである。
(まずい。こんなまずいことがあるか)
真之は、濃くなってゆく闇のなかでぼう然とした。
東郷はべつにいらだちもせず、この戦場のあと始末を、駆逐艦、水雷艇の群れに命じた。かれらは夜間攻撃に馴れており、至近距離まで近づいて魚雷で敵を始末するのである。敵を沈めるには、上からの砲弾よりも、下からの魚雷のほうがはるかに効果があった。いわば落ち武者退治であった。
あとを小艦艇にまかせると、東郷は塵下の各艦をまとめ、根拠地である裏長山列島にむけてゆるゆると帰陣しはじめた。 |
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