|
<本文から> 倒幕事業いらい、二度目の大久保のたたかいがはじまろうとしている。
「しかし」
と、大久保はいう。
「意外なことは他の参議のことです。かれらは西郷の尻馬に乗りながら西郷とともに辞表を出していない。これはどういうことか。そこまでかれらは意気地がないのか」
「とくに江藤」
と、大久保はいった。
大久保はこのときからだじゅうの血液が酎になるような思いで、江藤の顔を思いうかべた。ついでながら、大久保は強靭な感情の抑制力をもっているがためにひとには気づかれないが、しかし内面これほどの感情家もまれであった。さらについでながら、かれは江藤以外の政敵についてはすこしも憎悪を感じていなかった。たとえば板垣は大久保の目からみれば単純な血性男子で、板垣のどこをどう押せば怒り、あるいはよろこぶかというつぼを大久保は知っていた。要するに板垣の思考法や行動にはかれなりの原理があり、それはたれの目にも明瞭である。明瞭であるがために無害であつた。後藤象二郎は粗大でこれは意とするに足りない。副鳥種臣は好学の士である。その学問と人柄の気韻については定評があり、大久保自身もはやくから敬慕し、蒼海先生とよんでよく意見をきいてきた。副島のほうも大久保に、政見の相違はべつとして好意をもち、大久保の政治的力量を価値相当に評価し、その点ではたがいに知己であった。大久保にとってえたいの知れぬのは、江藤新平ひとりである。これはどういう男か。
(江藤だけは、私怨と権謀だけでうごいている)
と、大久保は憎悪をひそめつつ観察していた。江藤の「私怨」とは江藤がことあるごとに寺煙のように吐きちらしている薩長閥への憎しみのことであった。さらに江藤の「権謀」とは薩長の結束カを分解せしめようとくわだて、それがために征韓論をカ説した。大久保から見れば江藤はおのれの権謀のためには国家の運命をぎせいにしてもかまわぬという徒であり、いわば国家というサイコロに細工をするいかさま賭博師であった。こういう種類の才人を、大久保は「権詐機巧の才」とよんでいる。このあたりが、人間の関係の微妙さであった。なぜならば「権詐機巧」ということにかけては大久保は同質同類の才質をもち、しかもその点において江藤よりはるかに巨大なタレントであった。
−おれも同類の男かもしれない。
と、大久保はひそかにおもったであろう。同類どころか権詐機巧にかけては精密機械のように大久保の才能は複雑で正確で目的にむかってはひえびえと作動した。「しかし」と、大久保はおもったであろう。
(おれは江藤ではない)
と。この点で、大久保はあふれるほどの自信をもっていた。自分には満腔の赤誠がある、ということである。赤誠をつらぬこうがための権詐機巧であり、国家をサイコロにするようないかさま師ではない、ということであった。大久保は江藤と自分とは天地の差があるとみていた。同時にこのあたまのよすぎる男は、
(江藤も、自分をそうみているのではないか)
とも、観察し、その点をおそれた。このおそれを消すには江藤そのものを消滅させるよりほかない。要するに同質の大久保からみれば同類だけに江藤の楽屋があけすけにみえ、楽屋がみえるだけに江藤の別な面をみようとはせず、諸事小面憎さがさきだってしまうのにちがいなかった。
(なににせよ、なぜ江藤は辞表を出さぬか。西郷とあれだけ行動をともにしながらいざとなれば西郷を見すててしまう。それも江藤一流の権詐か)
と、このあさ、大久保は岩倉からの急報に接してまずそれをおもわざるをえない。この政敵に憎悪をもって買いかぶられてしまっている江藤こそいいつらのかわであった。なぜならば江藤はなにも知らない。かれは西郷に同調しょうにも西郷から辞表提出についてなにもきかされておらず、このあさ、西郷が岩倉邸に行ってそういう行動に出たことも知らなかった。江藤は要するになんの情報ももっていなかつた。情報といえば江藤は元来、自分のまわりの政情のうごきに関する情報感覚についてはあほうのように鈍感であった。こういう男が、大久保がそう思っているほどの権詐機巧の士になれるはずがない。 |
|