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<本文から>
「帰館してすぐ手紙をかくというのも妙だが、書きたくなる気持をおさえかねた」
とか、
「わしはすでに老いている。これ以上の望みはあっても、もはやかなえられぬ。あなたを見て、若いころのわしをおもった。さればわしが半生かかって得た体験、智恵、軍略の勘どころなどを、夜をこめてでも語りつくしたい」
とか、
「尾張は半国以上が織田家とはいえ、その鎮定が大変であろう。兵が足りねば美濃へ申し越されよ。いつなりとも即刻、お貸し申そう。あなたに対して、わしにできるだけのことを尽したい気持でいっぱいである」
とかいう、日ごろ沈毅な道三としては、あられもない手紙だった。
自分の人生は暮れようとしている。青雲のころから抱いてきた野望のなかばも遂げられそうにない。それを次代にゆずりたい、というのが、この老雄の感傷といっていい。
老工匠に似ている。この男は、半生、権謀術数にとり憑かれてきた。権力慾というよりも、芸術的な表現慾といったほうが、この男のばあい、あてはまっている。その「芸」だけが完成し作品が未完成のまま、肉体が老いてしまった。それを信長に継がせたい、とこの男は、なんと、筆さきをふるわせながら書いている。
信長は帰城し、例の男根の浴衣をぬぎすて、湯殿に入った。
出てきて洒をもって来させ、三杯、立ったままであおると、濃姫の部屋に入った。
「蝮に会ってきたぞ」
と、いった。
「いかがでございました」
「思ったとおりのやつであった。あらためて干し豆などをかじりながら、ゆっくり話をさせてみたいやつであったわ」
「それはよろしゅうございました」
と、濃姫は笑った。言いかたこそ妙だが、これは信長にとって最大の讃辞なのだということが、濃姫にはわかっている。 |
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