司馬遼太郎著書
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          項羽と劉邦・中

■任侠の親分の頂点にいた劉邦

<本文から>
 遊侠はその後、世がさだまった時期にすね者として存在するが、戦国からこの時代にかけては、郷村や市井で何がしかの勢力をもつ者は侠の要素をつよく持っていた。
 秦の盛時、地方官庁にやとわれた地元出身の吏のなかで、一種の世間的勢力のある者は単なる事務の徒でなく、侠の要素を持ち、地元の仲間たちを保護していた。
 本来、中国の農耕社会には王朝など要らないという古代的な無政府主義の気分があり、民衆社会の態様も多分にそうであった。里が、里ごとに里ぐるみ墻を築いて自衛し、父老という住民代表を立てて自治しているかぎり、王朝など不要であり、たとえ必要悪として王朝が成立しても、王朝の重圧感を個々の里村に感じさせないというのが、古代以来、理想的な政治−尭舜の世−とされてきた。しかし実際上、そういう羽毛のように軽く母親のようにやさしい王朝があったためしがなく、苛斂誅求が王朝の常態であり、その王朝自体の害というのは、王朝が「賊」としている草匪の害よりはなはだしかった。
 農民たちは、王朝の善から、どのようにして身をかわし、あるいはその手傷を軽く済ませるかということで腐心してきた。その腐心の代表が「父老」であり、かれら父老たちが恃むあては、王朝から派遣されてくる「官」ではなく、地元出身の「吏」であった。吏といっても、侠心のある吏でなければならない。たとえば沛の町にいたその種の吏が、劉邦の子分である粛何であり、曹参であり、あるいは劉邦が好きでたまらない夏侯嬰、または任敖などであった。かれらは後代の吏ではなく、それぞれ私的に面倒を見ている農民団を、集落ぐるみでいくつか持っている任侠の親分という秘めた側面を持っている。
 劉邦は、その頂点にいる。
 本来、拠って立つべき何も持たなかった劉邦がなぜ大組織をなしたのであろう。さらには項羽軍に劣るとはいえ、それに次ぐ軍隊をころがしつつ、目下西進している秘密は何であるのか。
そのことは、じつにわかりにくい。これについては、しばしば学問的考察の対象にさえなった。 
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■大きな器の中に水を注ぎ入れてゆくような劉邦

<本文から>
 張良は留をめざしてゆく途中、沛の圏内を通った。この時期、劉邦はすでに「沛公」とよばれていたが、数千人という小勢力にすぎず、このあたりの小さな秦勢力をしきりに攻伐していた。
 (待てよ、劉なにがしという名は、きいたことがある)
 張良はその程度の知識しかもっていなかったが、ともかくも使いを出し、面会を申し入れた。
 劉邦は気分のいい男で、すぐ会ってくれたばかりか、張良に席をあたえ、その意見を聴いた。
 (聴くというのは、こういうことか)
 と、張良は聴き手の劉邦を見て、花がひらいてゆくような新鮮さを覚えた。
 劉邦はたえず風通しのいい顔つきで張良を見つづけ、長大な体を張良に傾け、この年少の男が言うところを、沁み入るように聴きつづけた。擬態ではなかった。劉邦の場合、小さな我を、うまれる以前にどこかへ忘れてきたようなところがあった。かれは、虚心にこの揚の張良を見、かつ聴いた。聴くにつれて、
(この男は、ほんものだ)
 ということがわかってきた。虚心は人間を聡明にするものであろう。
 じつのところ、劉邦の取り柄といえば、それしかないと言っていい。張良は語りながら、途方もない大きな器の中に水を注ぎ入れてゆくような快感を持った。
 最後に、劉邦は、
 「私はつまらぬ男でやんすが、あなたさえよければ客になってくださらぬか」
 と、やや田舎くさく、しかし心から頼んだ。
 「よろこんで。−」
 と、張良は頬を染めて言い、いってから、内心かすかに狼狽した。すでに景駒のもとに、その傘下に入ると申し送ってある。
 (景駒など、何あろう)
と、みずからを叱りつけた。侠徒には本来二言はないものだが、しかし眼前に劉邦がいる。この劉邦を天下人にしようという志の前には、景駒への不義理などは些々たるものだとおもった。
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■項羽は劉邦殺害の好機をのがす

<本文から>
 (狡猾な劉邦は、項羽の気性を知っている。出鼻をくじいたのだ)
 范増は、そのことも予想していた。
 第二段として、酒宴で殺しなされ、と項羽に献策してある。いまが好機だ、というときに自分は腰の?(玉でつくったドーナツ形の装身具。表分、欠けている)を鳴らす、
 それが合図です、すかさずに大王は幔幕のそとの剣士に命じられよ、と言いふくめてあった。
 やがて范増は、好機だと見た。?を何度も鳴らした。
 が、項羽は大きなロへさかんに肉を運ぶのみで無視した。この日の料理に豚の肩肉があり、項羽の好物だった。といって項羽は自分の下あごの岨噂運動のために耳目がかすんでいたわけではなく、もはや殺す気がなくなっていた。かれは劉邦の弁疏を信じたわけではなく、第一、弁疏の内容などろくにきいていなかったし、憶えてもいない。項羽は本来、視覚的印象で左右された。すでに劉邦を見た。その体全体が、寒夜の病犬のようになってしまっている劉邦にその本質を項羽なりに見てしまい、こんな憐れなやつをおれが殺せるかと思った。その思いがつづき、宴席で北面している劉邦の姿を見ても印象がすこしも変わらない。むしろ范増が合図をする決の音がわずらわしかった。
范増は、たまりかねた。
(項羽はばかだ。あいつは平素、ほんの粟粒のような、しかしなにかの拍子に野放図にそれがひろがって項羽の人格そのものになってしまうあの奇妙な気質のために自分自身の墓穴を掘るのだ。否、すでに掘ってしまったのだ)
 と、ここで大声で叫びたかった。
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■劉邦は置きっぱなしの袋のようで賢者を用いる

<本文から>
  「大王よ」
 と、韓信はいった。
「大王の配下はこのような僻陬にきて、東方の故郷を狂わんばかりに懐かしんおります。かれらをひきい、義によって項羽を討つと天下に標榜して関中をめざされれば、兵はよろこび、その勢いあたるべからず、天下に充満する不満の心はみな大王に味方しましょう」
 と、いった。
 さらに韓信はくりかえし、秦の故地(関中)をまず攻められよ、といった。かならず成功します、とも言い、関中の人心が新王の章耶らから離れている事実をあげた。言いおわってしばらく息を入れ、次いで関中へ入るための作戦計画をのべた。
 この間、劉邦は正座したり膝をくずしたりした。韓信も大柄だが、劉邦にはかなわない。とくに劉邦は胴がおろちのように長く、上体がゆらゆらしていて、ときに滑稽な感じもした。頻の下半分が漆黒のひげでおおわれているために外貌から賢愚が窺いにくい。ひげの中に、たえず濡れている唇が隠顕した。両眼は聡明という印象から遠く、その厚い唇はいかにも欲深そうだった。最初、韓信は、
(こういう男が天下をとれるだろうか)
 と、不安におもった。ただ劉邦は微笑うとひどく可愛い顔になった。
 可愛いといっても、美男とも子供っぽさともちがっていた。韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者でなく、自分をいつでもほうり出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、慄梁になる場合、賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へほうりこんで用いることができる。
(劉邦という男は、袋というべきか、粘土のかたまりというべきか)
 韓信は、話すうちに劉邦という男がひどく新鮮にみえてきた。当初、どろがあいまいに人の形らしい格好をなしてすわっているような印象でもあったが、韓信が話しおわったときどろがいきなり人になった。劉邦は右こぶしを挙げ、よろこびのあまりかたわらの小机を打った。
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■項羽は感情の量が多くなつく者には仁強で刃むかう者に残忍

<本文から>
 項羽は斉を転々としながら、何度もいった。かれは自分になつく者にはとほうもなく「仁強」であったが、逆に自分に刃むかう者に対しては、悪魔のように残忍になった。項羽は感情の量が多すぎた。田栄だけでなく、斉の農民も女も子供もみな自分にそむいたと見た。非戦闘者を手あたり次第に殺させ、村を焼き、各地で幾千という人間を束にして生埋めにした。コウは項羽の得意芸になってしまった。
「殺されたくなければ叛くな」
 というのが、項羽の政治学に書かれているたった一行の鉄則だった。一人が叛けばかならずその地域の男女を大虐殺した。それによってついには万人が叛かず、自分になびくだろうという期待が項羽にあった。期待というより、当然そうなるという単純な数理のようなものが項羽にあったといっていい。
 このため、項羽の戦いは戦闘より虐殺のほうで多忙だった。
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