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<本文から>
「いたって壮健でござる」
と、忠氏はまだ少年のにおいの残った頬を微笑させていった。
「むかしは」
伊右衛門はいった。
「お父御とこうして馬をならべながら物語などしたものでござる」
「父もよく左様な昔ばなしなど致しまする。太閤様の中国攻めのころ、羽黒の陣でご表でありましたとか」
「一トリデを守っておりましてな、思えばなつかしいことでござるわ」
と、伊右衛門はゆるゆると馬をうたせる。
「今に変わらず、むかしからそれがしは愚鈍でありましてな、敵状の判断などでわが頭ではわからぬことがあるとお父御のご判断をききに行ったものでありました」
「これはご謙遜」
と、若い忠氏は馬上で頭をさげる。
「いや、謙遜ではござらん。それがしは戦場でこそ人におくれをとったことはござりませぬが、どうも諸事わからぬことが出る。そのつど朋輩にきいたり、部下にきいたり、それはそれは忙しいことじゃ。武運よく城一つをもち、六万石を知行する分際にまでなりましたが、これもみなひとのおかげでござる」
「よいお気象でありますな・対馬守殿のご人徳でありましょう。ご人徳がなければ、なかなか人
というものは智恵を貸すものでござりませぬ」
「いやいや、智恵でも貸してやらねば伊右衛門は自立できまいということで、みなみな、寄ってたかってたすけてくれるのでありましょう」
「それこそえがたいご人徳でござる。やはりひとのまねのできぬことだ。されば対馬守はお一人のお智恵でなく何人もの智怠を常にあつめ、それを取捨して行動されるのでありまするな」
「根が愚鈍でありますゆえ」
と、伊右衛門は、この男ほどの古参大名でありながら若僧の信濃守に気味がわるいほどへりくだる。それがごく自然にうけとれるのは、やはり伊右衛門がもっているとくべつな人徳というものかもしれない。 |
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