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<本文から>
瓜売りの秀吉は腹が立ってきたらしく、
「これは商いにならぬわい」
と瓜を置きすてて路上にうかれ出し、浮かれ歩くうち、例の茶店にさしかかると、お
かみに扮した常夏が、
「これは瓜売りどの。お茶を召せ。蒸したてのまんじゅうもございます」
「おやおや、これはありがたい」
手をとられながら茶店に入って、茶一ぷくとまんじゅうを食べ、その店を出ると、こんどはむかいの旅籠から、おかみの藤壷が走ってきて手をとらえた。
「ご飯を参られ候え。あま酒もできております。切り麦もできております」
どんどん秀吉をひっぱる。秀吉は美人のひっぱりだこになりながら、身も世もなく相好をくずし、されるがままになっている。
この情景、「太閤記」の筆者の小瀬甫庵はこう語っている。
「ことのほかのご機嫌にて、布袋の笑めるように目もロもなきばかりに見えさせた」
遊びずきの秀吉は、遊びはじめると人もわれもなく溶けこんで楽しんでしまう。
人々はそういう秀吉を好んだ。かれはこの時代の絶対的な支配者でしかも大名以下庶民に至るまで迷惑しごくな外征をおこすような男であるのに、同時に当代きっての人気者だったのは、この底ぬけな陽気さからきている。 |
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