|
<本文から> 千代ははがゆかった。
「合戦は、お味方の押し、押し、押し、でな、お味方の人数の中でもまれているだけで檜働きもできず、よき敵にもめぐりあえなかったわ」
(千載一遇のときに)
千代は口惜しがった。男として山崎合戦ほどの天下分け目の舞台に勝利軍の側で登場するなど、ありうべからざる好機といっていいほどなのに、伊右衛門はただ体を動かしていたにすぎなかった。
(もしわたくしが男ならば。−)
千代は、くやしい。千代がもし伊右衛門のそばについておれば、もっと頭のつかい方があったであろう。
千代は、戦況と地形を逐一きいた。
「まあ、惜しい」
とにこにこした。
なぜいちはやく淀川の葦の間を縫って敵が薄手の左翼を衝かなかった。
光秀軍の崩れはもっと早かったであろう。伊右衝門の名は天下にとどろいたであろう。
「いや、千代、左様なことをそなたはいうが、わしは淀川べりにもっとも遠い天王山の山麓にいた。山麓から横なぐりに敵へ突いて出る隊の中にいたのだ」
自分の創意を加える余地のない場所に自分はいた、と伊右衛門は弁解した。
「それはやむをえませぬな」
千代は、さからわない。
「しかし、乱軍のなかでも御坊塚の光秀殿の馬印はみえたでございましょう」
「みえたとも。それを目あてにわれわれは全軍押して行ったのだ」
(馬鹿なこと)
千代はまったく、なぜ自分が男にうまれなかったのか、と口惜しいほどである。みな阿呆のように光秀の本陣をめがけて押して行ったとは、なんとばかであろう。 |
|